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カテゴリー「農業論」の記事

2018年12月 9日 (日)

まだ日本は死んでいない‼ 鈴木忠夫さんという自然農法家

Photo_2千葉県香取市に、米や麦、大豆、野菜全般、ようするに塩以外のほぼすべての食糧を自前でつくっている鈴木忠夫さん(60)という凄腕の農業者を尋ねた。(写真中央、左はオーガニックスーパー「クランデール」の川田裕司社長)

鈴木さんは、代々農家ではあるけれど、祖父は桶職人、父は建具職人だったそうだ。鈴木さんも少しは建具の仕事を覚えたが、20歳のときに農業一本に仕事を絞ったという。農薬は使ったことがない。「初めは化学肥料を使ったけれど、23歳の時にすっぱり使うのを止めました」。
 
「なぜ?」と問うと、鈴木さんは一瞬考え込んで、「いやあ、(使っちゃ)ダメだと思って」と言葉少な。直感的に安全で美味しい米や野菜を作ろうと決心したようだ。優しい穏やかな口調で、言葉少なく、一瞬一瞬を大切に生きている人だと感じた。

化学肥料は止め、堆肥を使った。30歳で堆肥を止めて米ぬかだけを使うようになった。40歳のとき、「肥料は要らないことに気づいた」ため、無肥料栽培になった。それから20年、米も麦も大豆も野菜も、すべて無肥料栽培を続けている。

畑に茂っている春菊の葉を千切っていただくと、私はその美味しさにショックを受けた。自分の畑の野菜も美味しいと思うけれど、鈴木さんの野菜の美味しさは次元が違うと感じた。野菜の味は、生産者の人柄が出てくると言われている。それは本当のことだと確信する瞬間だった。

鈴木さんと同居している母君は、黒大豆で自家製味噌を作り続けている。ご近所では鈴木さんの農業が異端扱いだそうだが、味噌の美味しさは大評判だという。そして今年、「初めて醤油を作ってるんですよ」と鈴木さんは淡々と語ってくれる。米も麦も自家製なので、それが可能なのだ。

異常気象をものともせず、機械にも頼らない。米については、苗づくり、田植え、刈り取り、天日乾燥まで、自分の身体ひとつで農作業をこなす。完全な無肥料・無農薬栽培であらゆる作物を育てる本物のプロフェッショナルに初めて出会った。

世界に天変地異が起きても、決してへこたれず生き残る知恵と技術が日本に残っている。まだ、日本は死んでいない。

2018年12月 5日 (水)

やはり栄養価は高かった‼~ハル(Halu)農法

自然農法の研究を始めて8年になる。そしていよいよ、その野菜の栄養分析を行う時期が来た。つい先日、手元に速報が届いた。それによると、一般に出回っている野菜の平均値を上回る数値が検出され、完全な無肥料の野菜のほうが、肥料を使った野菜より優位であることが証明された。データ一覧

今回、ハル(Halu)農法を応援してくださっている千葉県松戸市のオーガニックスーパー「クランデール」の川田裕司社長のご厚意により、栄養分析の機会をいただいた。検査を依頼したのは都内の株式会社メディカル青果物研究所。2万件の調査データを持っており、「野菜の価値は、抗酸化力、免疫力、解毒力で決まる」という視点から、各種野菜の分析を行っている。

これまで一般に行われてきたミネラルやアミノ酸などの成分分析と違い、病気にならない、あるいは病気を克服するための栄養価という観点からの検査で、以下の4項目について調べていただいた。

1. Brix(糖度)
2. 抗酸化力
3. ビタミンC含量
4. 硝酸イオン含量(有毒性、えぐみの原因)

対象品目は落花生、大根、小松菜、パクチーの4種類。これは、自家採種をしていて、将来にわたって無肥料栽培を続けていけることがわかっている品種を選んだ。そして、気になる調査結果だが、例えば落花生の場合、以下のような数値になった。

1. Brix(糖度)  1.3倍
2. 抗酸化力    3.7倍
3. ビタミンC含量 1.4倍
4. 硝酸イオン含量 検出限界値以下

これは、平均値に比べてかなり高い数値だそうだ。たとえば、抗酸化力は、植物ストレス耐性を調べるもので、各種野菜の平均値が50~70となっているが、ハル農法の落花生の場合178という数値になっている。

そして他の3種類の野菜についても、すべての項目で平均値を上回っていたのが、今回の調査の大きな収穫だった。

比較対象の2万件のデータベースには、慣行栽培だけでなく有機栽培の野菜も含まれたものなので、少なくともハル農法の野菜は、肥料を使う野菜に栄養価で負けてない栄養価を持つことが証明されたことになる。

これらの野菜を栽培している千葉県我孫子市の本社農場は、改良を始めて2年半を経過したばかりなので、これから野菜の栄養価はさらに上がっていくだろう。とても楽しみだ。

2018年12月 1日 (土)

ベネズエラの惨劇~餓死する乳幼児たち。その原因は?

地球の裏側では、想像を絶する恐ろしいことが起きている。日本のメディアで、ごくたまに見かけるのだが、南米ベネズエラの経済破綻、政治破綻による惨劇は、我々の想像以上に厳しいらしい。

石油の埋蔵量では世界一と言われ、もっとも裕福な国のはずだったベネズエラ。すでに総人口3,000万人のうち、230万人以上が周辺国に脱出し、残された国民は、2,500%のハイパーインフレによって紙幣が紙屑になり、食糧を輸入することができず、飢えているという。

1歳児が餓死した写真もネット上にアップされているが、この事態は事実らしい。

なぜこのような事態になったのか? いまの政治の無力さを非難する記事がたくさんあるけれども、どうも、その原因について納得できる分析や評価が見つからない。しかし、理由は明白だ。

もともとベネズエラは、食糧生産にまったく力を入れていなかったことがわかっている。石油を売って、食糧を海外から輸入すればいいと考えていたからだ。ところが、2014年ごろから原油価格の低迷によって外貨不足になり、食糧を輸入するお金が一時的になくなってしまったという。

石油を増産するタイミングを逸したことで、食糧輸入が止まった。

つまり、国内に食べ物がない状態になってしまった。

一瞬でもそうなると、食糧の価格は一気に跳ね上がる。すると、それに引きずられて急速なインフレが止まらなくなる。2,500%のインフレということは、大根1本100円だったものが、単純に2,500円になる。家賃10万円が250万円になる。結局、割を食うのは貧困層で、そのなかでも弱い存在である子供たちが飢え死にするという、いまの日本では想像できない状況に追い込まれているのだ。

今年8月、ベネズエラ政府は5桁のデノミ政策を実行した。つまり、10万円を1円に切り替えた。となると、貯金1億円が1000円、100万円が10円になる計算だ。これによって経済はさらに危機的状況になっているという。どんな恐ろしいことになっているのか、もはや私にはイメージできない。

もとをただせば、食糧の輸入ができなくったことが引き金だったはず。食糧自給率の低さが、一気に経済破綻を招いたのに違いないのだが、なぜかメディアや専門家たちはそのことを言わない。

石油の産出国であるベネズエラでさえその事態に陥ったとなると、石油もない、食糧自給率も実質的にゼロ%である日本は、この先本当に大丈夫なのか?妙に不安な気持ちに襲われるこの頃だ。

2018年11月11日 (日)

自給自足は可能なのか?

自給自足は、個人の問題として考える場合と、コミュニティーあるいは国家として考える場合では、いろいろ条件が異なるかもしれない。しかし、基本的なことは共通している。

「1,000年後、10,000年後も自給自足可能な農業技術を我々は持っているのか?」

答えは、(現時点では)「ノー」と言うしかない。前回の記事で書いたように、肥料は有限なので、1,000年どころか、下手をすれば数十年で枯渇してしまう。そこいらの雑草や木の実を食べて生きていけるなら話は別だが、たぶん無理だろう。

当然、70億以上の人間の食糧をまかなえるはずもなく、近い将来、地球はとんでもない食糧難パニックに襲われる。これは寝ぼけているわけでなく、すっきり目覚めた脳みそで近未来を予測しているのだ。

もともとジャーナリストとして仕事を続けてきて、政治、経済、社会、医療、福祉、教育といったさまざまな分野の最先端の情報に触れる機会をいただいてきた。普通なら、これだけ多くの分野となると、独学では「広く浅く」といった知識になりがちだと思う。

ところが、ジャーナリストという仕事は、第一線で活躍する人たちに直接取材するという特種な仕事だったために、純度の高い情報を、とても効率よく得ることができた。その意味では、おそらく「広く深く」事象を理解することができたように思う。

そうした経験が「日本という国が崩壊し始めている」という警戒感を呼び起こし、「自然農法に突っ込め」と無意識に私の人生を誘導してきたのかもしれない。そしていま、自然農法の認知度がいまだに低いいまま、いよいよ地球全体に赤信号が灯ったように感じている。とくに食糧問題は、かなり深刻さを増しているのではないか。そう感じる理由は以下のことだ。

1. ここ数年、異常気象の度合いが強くなっている。
2. 難民の問題が世界中に飛び火している。
3. アメリカをはじめとして、欧州にも孤立主義化の傾向が見え始めている。(肥料原料の囲い込みが間もなく始まる可能性あり)

ざっとこの3点が思い浮かぶ。そして、日本の状況はさらに深刻だ。

4. 少子化が加速している。
5 農業の担い手がいない。
6. 実質的な食糧自給率が相変わらずゼロ%のままで、次の手を打とうとしていない。

いまだに日本人は誰も気づいていないようだが、いまの日本は有史以来、もっとも情けない国の姿をさらしている。それが食糧自給率ゼロ%という現実だ。

地球の生き物のなかで、自分で食べ物を調達できない動物を呼ぶ言葉がある。それは「家畜」と「ペット」だ。

彼らは、エサを与えられるかわりに、卵を産んだり、乳や自分の肉を提供したり、あるいは走らされたり、芸を披露させられたりしている。つまり、エサをもらって何らかの仕事をさせられているのだ。

それ以外の動物は、必ず自分の力で食糧を確保している。

では、いまの日本人はどうだろう。食糧自給率ゼロ%ということは、海外からエサ(あるいはエサの元=肥料=)を与えられて、何らかの仕事をさせられているにすぎない。それは「家畜」として生活していることにほかならないのだ。

食糧を自分で確保できない動物に「本当の自由」はない。だからこそ──

自給自足できる農業技術(自然農法)は、いまの日本にとって、かけがえのない技術ではないだろうか。なにも、個人個人すべてが自給自足する必要はないとしても、国家として自給自足できる技術や仕組みを作らなければ、家畜としての立場から脱出することはできない。

そして、肥料に頼らない技術を確立できなければ、結局のところ日本だけでなく世界で食糧がなくなり、日本は最初に見捨てられることになるだろう。

このメッセージは、受け取ってくれる人が全くいないかもしれない。しかし、せめて自分の孫の未来を守るために、へこたれずに頑張っていこうと、最近あらためて思う。

2018年11月 4日 (日)

二択問題。日本の農業はいつまでもつか? A 40年。B 永久。

今か今かと待っていたが、いつまで経っても議論にならない。本当に不思議な国だ。

日本の食糧自給率は年々低下していて、直近の数字ではカロリーベースで38%だという。しかし、もっと深刻な問題がある。それは、肥料の自給率だ。

肥料の3大要素と言われる窒素、リン酸(リン)、カリ(カリウム)は、いずれも天然資源を原料にしている。窒素は石油・天然ガス、リンとカリウムは天然鉱石。日本は3つとも、100%輸入に頼っている。

つまり、本当の食糧自給率はほぼゼロ%なのだ。

そもそも自給率ゼロ%の状態で独立国家と呼べるのかさえ疑問だが、そこに恐ろしい問題が隠されている。天然資源の埋蔵量だ。採掘量から計算すると、原油は40年、リン鉱石が300年、カリウム鉱石が370年だという。
*データはみずほ情報総研より。

肥料の中でも「特に重要」と農家が考えている窒素肥料は、40年後になくなってしまう。仮に天然ガスで延命できる可能性があっても、輸出国がまず外に出さないだろう。

リン鉱石については、「石油より早く枯渇する可能性がある」と一時大騒ぎになり、アメリカは輸出を停止し、中国もいずれ禁輸措置を取ることは必至だ。そうなったとき、日本は選択を迫られる。

餓死か、100%海外からの食糧に頼るか。

しかも、遠い未来の話ではなく、いま生まれてきている子供たちが働き盛りになるころ、確実に目の前に現れる問題なのだ。日本の政治家や食にかかわる人たちは、本当にこのまま放っておくつもりなのか? 本当に気づかないのか、あるいは知らんぷりを決め込んでいるのか?
 
「農業の成長産業化」と政府は言うが、どうも怪しい。というのも、国立大学の農学部の教授や、農水省の外郭団体の専門家など、複数の人たちから、ある妙な言葉を聞いていただからだ。

それは、「日本で(食糧を)作れなかったら、輸入すればいい」という言葉だ。それを聞いて仰天した私は、すかさず突っ込んでみた。「それは、日本の政府は、実は日本に食糧問題はないと考えているということですか?」と。(つまり、食糧自給率を上げようという政策はカムフラージュなのか?という質問)

その質問に対し、いずれも「Yes」だというのだ。

もし、私が新聞記者の名刺を持っていたら、そんな答えが返ってくるはずがない。私が自然農法の研究にとりつかれた頭の狂った人間だと思って油断したとしか考えられない。しかし、狂っているのは、本当に私のほうなのか?

「別に輸入食糧だけでいいよ」という人はそれで良いだろう。しかし、私はそう思わない。子供にも、孫にも、食糧を100%自給する環境で生活をしてほしい。そのためには、肥料に頼らない農業技術が必要なのだ。

もし、自然農法がしっかり普及すれば、家畜の飼料作物も自給できるようになる。すると、自然由来の家畜糞が良質な肥料になるから、肥料栽培もある程度継続できるようになるはずだ。

いずれにしても、肥料原料の輸出国が禁輸の判断を早めれば、それで日本の農業は終了する。そして、肥料原料がいよいよ枯渇したとき、食糧輸入もできないわけなので、我々の子孫は餓死するしかない。

自然農法の研究に課せられた役割は、とても大きいのだ。

*文章をすっきりさせたくて、ですますを改めました。

2018年9月 6日 (木)

自然災害への備え

北海道の地震はびっくりしました。とくに全戸停電は、想像以上に生活への影響が大きいと、知人、友人からの安否の情報が届きます。
  
この地震のニュースで思い出すのは、7年前の東日本大震災です。もちろん、電気も止まりましたが、物流が途切れて、スーパーから食品がなくなっていく様子は、とても不安に感じたものです。このとき、「やはり日本の農業は、自然農法を確かな技術にしていかなければいけない」と強く思いました。
 
今年は全国的に異常気象が続いて、(もちろん、私の畑も雨が全く降らず)えらいことになりましたが、ここまでくると、この先をどうしていくか悩んでしまいます。

なので、気候に左右されない植物工場のような先端技術に世間の注目が集まるのは、とても自然なことのように感じます。だからこそ、あえて発信したいのは、自然農法の理論は、植物工場ととても相性が良い可能性があるということです。

この7年間は露地栽培のみで研究を進めてきたのですが、一部、ハウスでの栽培実験をしたことがあります。そして、とても成績が良かったという実績があります。具体的には、窓の開閉など動作確認するためのビニールハウスで、初めて作物を育てたことがあります。

それまでは、本当に機械の動作確認だけで、10年以上前にハウスを建ててから、一度も野菜を育てことがなく、もちろん、潅水設備もありませんので、ほぼ砂漠状態だった場所です。そこで春から高畝を造成し、水やりもできるようにしたところ、なんとわず4か月後には大玉スイカができてしまったのです。

たぶん、自然農法(とくにHaluの理論を使った場合)は、生態系のバランスが取れるまで時間のかかる露地よりも、むしろ野菜と共生微生物の関係を整えるだけのハウス栽培のほうが、効率よく作物ができるのではないか、と考えているところです。

Halu農法の理論そのものは、ほぼ間違いないと確信が持てるようになったので、これからは、Halu農法との相性が良い作物とか、果樹栽培など、一歩踏み込んだ実用化の研究に打ち込んでいく予定です。

自然災害に強い農業──なんとか現実のものにしたいと思っています。

2018年7月 8日 (日)

カウンターインフォメーション~洗脳の仕組み

昨今の食と健康、あるいは農業について世間の情報の流れを見ていると、今年に入って、「ようやく本当の情報が目立ってきたな」と感じるようになりました。とはいっても、あからさまに本当の情報ばかりになってしまったら、国民がパニック状態になること必至。少しずつ少しずつ、以前よりは人目に触れるようになってきた、というニュアンスです。

Kimg1535このことは、逆に考えると、いままでの情報に対して疑問を持つ人が増え始めている、ということが言えると思います。いくら本当の情報を発信しても、視聴者や読者がまったくついてこなければ、すぐに立ち消えてしまうからです。いままで、ずっとそうでした。

それにしても、日本の食や農業の問題が、ここまで深刻化しながら、いままで表面化してこなかったのは、いったい何が原因なのだろうかと考えていたら、ふとある言葉が浮かびました。それが「counterinformation(カウンターインフォメーション)」です。

なんで英語が浮かんだのか自分でも不思議ですし、そんな英語があるのかどうかすらわかりません。で、ネット検索してみると、Wikitionaryというサイトにありました。訳が間違っているかもしれませんが、要するに私が感じた通りの意味だと思います。

カウンターは、いわゆるカウンターパンチのカウンターです。インフォメーションは情報です。例えば、「農薬が危ない」と誰かが言い始めると、「いや、農薬の危険性は証明されていない」と主張する専門家を引っ張り出して反論する、というような話です。しかも、いまはインターネットが普及したために、実名を明かさない「反論役」のような人たちがいて、本当の情報が出たとたんに「打消し」にかかります。

インターネットの検索機能を逆手にとって、すごい数の反対の記事を掲載するため、あたかも反論役のほうがメジャーな意見であり、正しいのだというような状態を作ってしまうわけです。

このことを裏付けるような出来事が、つい最近、日本で起こっていたようですね。なんでも週刊新潮が「食べてはいけない国産食品」というテーマでキャンペーンを始めたところ、週刊文春がこれに反論するという展開。週刊文春の見出しを読むと、内閣府食品安全委員会や東大名誉教授の言葉を借りて反論を繰り広げていたようです。

私は週刊誌を読まないので、ネット上のことしか知りません。しかし、この手の話の結末だけはわかります。お互いに「こっちが正しい」と言い合っているうちに、読者は飽きてしまいます。そのうち、問題が雲散霧消してしまうんですね。私もそうですが、物事は慣れてしまうし、忘れてしまうんです。

これが、権力側の人たちが日常的に行っている印象操作、つまり洗脳の仕組みです。しかし、ここまで国が壊れてくると、権力側にも影響が出てきます。

さて、なんでこんな記事を書いているのかというと、もちろん、日本の食と健康と農の話です。私たちの身体は食べ物で作られているわけですから、その原材料とか食品添加物に無頓着だと、自分は良くても子供や孫はダメなんです。

もはや洗脳される側だけの問題じゃなくて、権力側にも影響が及んでいる。

明白な証拠は、国民の医療費や介護事業費が信じられない速度で増えていることです。我々の身体を作っている食べ物が原因に決まっているじゃありませんか。とくに私たちののような年寄りが若い世代の足を引っ張って、苦しめていることに、いい加減反省しなきゃいけないでしょう。思考停止している場合じゃないんです。

と、突然のように強気な記事になっているのは、昨日、ちょっとしたご縁のある方に、永田町(国会のある場所)や霞が関(中央官庁のある場所)の現状について話をうかがったからです。

正直なところ、(もうこの国はダメだ。取り返しがつかないほどダメージが大きくなっている)と自分では思っています。実際、永田町も霞が関も、私の世代以上の人間はダメダメになっているようです。つい先日も、文科省の現役局長の「親バカ事件」が起きました。局長と言えば、ものすごい権力を持っているポジションです。こういう人が税金を好きなように使っているのが、いまの日本なんです。

しかし、政治家も役人も、ある年代より若い世代には、ちゃんと考えている人たちも残っている、という情報をいただきました。ならば──

我々のような年寄りが、いま頑張って若い世代を応援しなくて、いつするんだ! と年甲斐もなく興奮しているので、こんな記事になってしまいました。政治家も役人も、40代以下の若い世代に奮起する気持ちがあるなら、私は、この日本をあきらめずに、もう少しだけ頑張ろうと思います。

写真は、畑で育てている桃をもいで、もうすぐ2歳になる孫娘に渡した場面です。妻が撮影してくれました。まだ1年しか経っていない苗木で、写真は生育が遅いほうの苗木です。実は小さいけれど、とても香りが良く、美味しくて感動しています。肥料も農薬も要らないんです。

2018年6月18日 (月)

未来への提案~いま私たちにできること

Gatag00004624歩屋のWebサイトに、「未来への提案」というページをアップしました。いまの日本にとても大きな危険を感じるのと、そろそろ本気で準備しないと取り返しがつかなくなる、という判断をしました。

といっても、提案は難しいものではなく、賛同者が集まればすぐにでも実施できる企画だと思います。簡単に書くと、自然農法による自給自足のコミュニティーを作ろうという内容です。

ここ数年、大企業によるデータ偽装などの問題が明るみに出ました。いまは政治と官僚に恐ろしい偽装が発覚しました。日本は本当に偽装国家だったのです。もっとも、一番大切な問題は、いまだに表に出ないままです。それは、食にかかわる業界のことです。

私は、もっと前に食品業界から内部告発が噴き出し、自浄作用が働くことで、日本が再生の道を歩き始めるものと考えていました。しかし、ジャーナリストとして能力不足だったと痛感しています。見通しが甘かった。いまだに食にかかわる問題は表には出てきません。生産・加工・流通・販売のすべてで、互いに首を絞めあい、このまま自然に死んでいくように見えるのです。

もともと心配性なのでしょう。杞憂に終わるならそれで良いのです。ただし、日本の将来に不安を感じ、何らかの手を打たなければいけないと直感している人は、少なくないと思っています。そうした人に向けて、ピンポイントで情報発信する段階に来ていると感じています。

いまの難しい時代を、生き残るにしても、繁栄するにしても、基本は「食の安定」です。これは議論するものではなく、自明の理というものでしょう。多くの人が本当は理解しているはずなのに、公で話題にならないのは、「私たちの気をそらそうとする力」が働いているからです。それが何かは、ここでは書きません。

食の歪みは心の歪みを生みます。身体の歪みも生みます。未来の日本を担う子供たちの発達の歪みが気になります。

そのことが気にならない人と、気になる人と、真っ二つに分かれる両極端な社会になっているように見えます。

2018年6月11日 (月)

日本が自信を取り戻すとき~無限食糧の思想

いまの日本に明るい未来は開けているのか?

福祉も教育も、経済も政治も、どれも閉塞感で息苦しいことこのうえなし。日本にかつての勢いや明るさは全く感じられません。言うなれば、“一億総自信喪失社会”という感じでしょうか。もはや何を目指しているのか、何をしたいのか、何を恐れているのか。外から日本という国を見たとき、きっと「得体のしれない不気味なゾンビのような国家」に映っているのではないでしょうか。

おそらく、このブログにたどり着くであろう人は、そんな暗い世相であっても、まだ前を向いて積極的に生きようとするエネルギーを残しているのだろうと推測します。しかし、そんな前向きな人生を送れる人は、全体から見ればごく少数になってしまったかもしれません。

いま私は、新しい農業技術の開発にほとんどすべてのエネルギーを費やしています。そしてこの技術は、日本はもとより、世界中の人々の未来を救うであろうと、かたく信じています。

人間が生きていくためには、食糧が必要です。その食糧を無限に作り出すことができる。その技術が日本古来の自然観に基づく自然農法であり、それを理論化したHalu農法です。

肥料も農薬も必要ないという自然農法は、日本発祥の技術です。しかし、西洋化してしまった多くの日本人は、自然と一体となった日本の思想をすっかり忘れてしまい、自然農法に関心を持つ人はごく限られています。

それでも先人たちは、個々に、少しずつ、無限食糧を実現する自然農法の確立に向かって歩いてきてくれました。いま、それらの実績を組み合わせて、ひとつの理論が見えてきた段階です。そして、あと少しで、自然農法は確かな技術になることでしょう。

そのとき、日本の経済は一気に再生し、繁栄の一途をたどるでしょう。そしてその技術によって、世界は飢えから解放され、戦争はなくなるでしょう。

先日、Halu農法の取り組みを紹介する英文が完成しました。もし欧米でHalu農法に関心を持つ人が現れたら、とてもうれしいです。しかし、その前に、日本でHalu農法の確立に向けてもっと協力者が現れて、日本で盛り上がってくれるのが私の本当の願いです。日本主導で世界の食糧問題を解決することができたら、日本は世界史に名を遺すことになるはずです。

2018年5月12日 (土)

養分で育つという錯覚~いまの農業理論は廃れていく

Kimg1025自然農法の研究を始めて7年が過ぎました。当たり前のように育つ野菜たちを見ると、感慨深いものがあります。

いまだに「野菜(植物)は養分で育つ」と思い込んでいる現代農業の理論は、まもなく廃れていくでしょう。科学の進歩によって、いまはいろいろなことが判明しています。農業に関していえば、「植物と動物は違う」ということです。

字面だけを見れば「当たり前」のことなのですが、両者の生き方(成長と生命維持の方法)の違いについて、ほとんどの人があまりにも無頓着です。(もちろん、私自身も考えたことはありませんでした)

私たち人間も、ほかの動物も、生まれてから成長するために、何らかの栄養を摂取しています。そうしないと成長できないし、生命を維持できないからです。

そこまではわかります。

ところが、植物はまったく違います。

生物学上では、植物は「独立栄養生物」と分類され、人間を含む動物は「従属栄養生物」に分類されます。植物は自力で栄養を調達し、動物は他の生き物を捕食して調達するという分類です。

なのに、人間を含めた動物(動き回る生き物)と、植物(動かず、その場で世代交代する生き物)の生態をごちゃまぜに考えているのが、現代の農業理論です。どういうことかというと、「植物は成長するために養分が必要である」といまだに錯覚しているということです。植物には養分など必要ありません。もちろん肥料も必要ありません。

いまの農業の教科書には、植物が成長するために必要な養分の解説に始まり、「いかに土を育てるか」といった変なストーリーを展開します。これは、科学的に誤りです。

土は、石であれ、粘土であれ、それそのものが植物にとって必要なミネラルの塊であって、育てるもへったくれもありません。大事なことは、そこにあるミネラルを植物がいかに吸収するかというだけのことなのです。

ミネラルの吸収を助けるのは微生物です。

そもそも植物は多様な微生物とセットで生きている生命体です。もとになる微生物は空気中にいるし、種にもくっついています。発芽すれば、あとは自動的に成長するだけです。

植物は葉緑素という、自前で生きるためのエネルギーを調達する能力を備えています。なので、太陽と空気と水があれば、どんな植物も勝手に育ちます。

ただし、必要なミネラルを吸収できないと、ちゃんと成長することはできません。そこで植物は根っこから糖分を出して微生物を働かせ、ミネラルを吸収します。人間が食べる野菜のように、進化した植物は、アミノ酸を合成する微生物も従えて、非常に効率よく成長することができます。

しかし、微生物が繁殖するのに適していない環境(たとえば通気性が悪いとか、水はけが悪い状態)だと、野菜はうまく成長することができません。逆に、微生物が繁殖しやすい土壌環境さえあれば、野菜は見事なぐらい自動的に成長するものなのです。それが自然農法の基礎理論です。

*もっとも、残念ながらこの理論はまだ仮説にすぎません。とはいえ、新発明である証拠として特許を取得している理論です。今後、協力してくれる研究者が出てくれれば、やがて仮説でなく定説になってくると信じています。

同じ「自然農法」あるいは「自然栽培」という言葉を使っていても、「野菜は養分で育つ」という考え方に縛られていると、「肥料は使わないけれど、植物を発酵させた堆肥は使う」というような矛盾したことになります。(堆肥は、ずばり有機肥料です)

「何か」を地面に混ぜ込むと、せっかくの微生物の住処が壊されます。すると野菜がダメージを受けます。土壌もダメージを受けます。

栽培方法という視点で比較して考えてみましょう。自然農法が本来の農業のあり方であって、肥料を使う栽培方法は「不自然農法」なのです。そろそろ、肥料という添加物を地面に埋め込む発想から解放されてもいい時期ではないでしょうか。

自分や家族の健康ために。将来生まれてくる子供たちのために。

なぜ現代人は病気が多く、身体がこんなにも弱いのか? ふだん食べているものについて、いっしょに考えてみませんか。