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カテゴリー「農業論」の記事

2019年6月13日 (木)

カボチャの着果

自然農法の研究を始めて9年目に入り、初めて「夏野菜が順調に育っている」と書けるようになった。写真は、2日前に撮影したカボチャの雌花で、いつの間にか受粉していたものだ。1週間ほど前に一番果になる雌花のつぼみを見つけたのだが、それは摘果してしまった。

Kimg0173 カボチャ栽培では、「一番果が一番美味しい」という人と、「一番果は早すぎるので、数節あとの雌花を着果させた方がいい」という人がいる。どちらが本当なのか、よくわからない。しかし、ほかの野菜、キュウリやトマト、ナス、ピーマンなどは、本体が大きくなるまで摘果するほうが良いと体験としては理解している。カボチャだけは、いまだによくわからない。

そこで、とりあえず一番果は積んでしまい、2番果を育てようと見守っていた。すると、別のツルで咲いた雌花が先に受粉してしまった。たった2日だが、きょうの姿は、2日前の2倍には大きくなっている。夏野菜は、本体が大きいと、実も大きくなるのが早い。

いま育てている夏野菜を整理すると、スイカ、キュウリ、カボチャ(ウリ科)、トマト、ジャガイモ、ナス、ピーマン、トウガラシ(ナス科)、トウモロコシ(イネ科)、エダマメ、アズキ、落花生(マメ科)、赤シソ、青シソ、バジル=播種予定=(シソ科)。サツマイモに挑戦してみたかったが、準備が間に合わなかった。

今年は、畑の運営の方向性を思い切って変えてみた。いままでは、「日本の農業を救わなければいけない」「そのためには、自然農法の実用化しか道はない」と力んでいた。しかし、自然農法に対する世間の関心は、冷静に考えて「ほぼゼロ」ということがわかった。いまだに肥料栽培と無肥料栽培の違いすら議論にならず、「土の中には野菜の養分が必要だ」と誰しもが考えている。

それは科学的に間違った認識だと考えているのだが、そのことを表現し続ける根気がなくなった。それに、孫たちに食べさせるために、いろんな野菜を作りたいという別の意欲が湧いてきている。そこで、自分の意識は「日本の農業を守る」ではなく、「家族の食を守る」にシフトチェンジすることにした。

そんな意識に変わってきたところで、ちょうど「学びの農園」の入会者も少しずつ増えてきており、実際にみんなで野菜づくりをワイワイ楽しむことが、とても楽しい。野菜づくりに肥料はいらないし、もちろん、農薬もいらない。そして、美味しい。なぜ、みんな肥料を使おうとするのだろうか。使わないほうが美味しいのに。 

2019年5月 1日 (水)

「農」と「業」を切り離す~令和の時代を生き抜く

改元した。世間ではお祭り騒ぎのようだが、新しい令和の時代は日本の歴史上、かなり印象的な時代になると思う。昭和⇒平成⇒令和の3つの時代は、確かにそれぞれ特徴があった。激動、怒涛の発展の昭和。政治や経済、そのほか、さまざまな仕組みが壊れていった平成。令和は、スタート時点ですでに社会構造が崩壊状態だ。この時代は、すべてをゼロから作り直していくことになると思う。

その最も大切な一歩になるのが、食糧生産の技術と仕組み、食生活の再構築になるだろう。

つい先日の記事では、「農業技術としての自然農法」と書いてしまったが、それは平成までで終わった。これからは「農」と「業」の切り離しが必要になる。「業」というのは、産業としての形のことで、別の言い方をすると「お金儲けの仕組み」ということになる。そもそも人間の生命そのものである「食べ物」をつくる「農」を産業のひとつに位置付けていることが、根本的に不自然だし、そのへんちくりんさに我々は気づかなければいけない。

この8年あまり、自然農法の研究をしてきて、確信していることがある。

「この大根を出荷しても、1本100円にしかならないのか。借金を返済するのに、いったい何本つくって、売らなければいけなのだろう」と計算したとき、私は農作業がとてつもなく苦しく、つまらないことのように感じた。

Kimg1868 ところが、孫が生まれて、私の育てた大根や人参を美味しそうに食べてくれて、しかも病気ひとつせずに育っている姿を見るとき、「孫に食べさせる野菜なのだ」と思うと、農作業が楽しくて仕方がなくなる。農業から「業」を切り離した瞬間、私の人生は明るく輝き始めた気がするのだ。そのことに気が付いた時から、実は野菜を出荷することを止めている。(正確には、ハル農法を応援してくださっているところでだけ、少し販売していただいている)

自分の子供や孫に食べさせるもの以外は、売るのではなく、ほしい人に差し上げる。いまはこのスタンスで畑を運営している。というのも、そもそも私は自然農法の研究をしているので、研究成果を知りたい人に情報提供すれば良いのだ。だから、畑に来た人たちには、好きなだけ野菜を持って行ってもらう。講座や農場見学会の参加費を少しいただくだけでも、とてもありがたい。

「それで生計は成り立つのか?」と、いままでなら悩んでいたと思うが、悩む必要はないこともわかっている。現金収入が必要なら、ほかに仕事をして、余った時間で畑を運営すれば良い。家族が食べるだけの野菜を作るなら、もはや自然農法は技術的に何も問題ないのだから。週末農業でも十分にたくさんの野菜を育てることはできる。ハル農法は、おかげさまで、そこまでの域に技術が高まってきた。

ハル農法は面白い。しかも野菜の質は最高だ。子供が病気せずに育つ食材であることを考えたら、大根1本が100円であるはずがない。おそらくお金には換算できない、すごい価値があるに違いない。農業から「業」を切り離すとき、農作物の本当の価値が見えてくる。そして、生命の尊さ、健康の尊さも見えてくる。そうなると、貨幣経済が崩壊したとしても、私たち人間は未来を生き抜くことができるし、そうしていかねばならない。食べ物は、生命そのもなのだ。

令和は、そのことを理解する人が増え始め、社会の構造が一新する時代になるだろう。

 

2019年4月24日 (水)

農業人口から日本の将来を観る

農林水産省の農業人口統計を見ると、日本の農業人口が歯止めなく減っていることがわかる。

平成22年:260万人 平成27年:207万人 平成28年:192万人 平成29年:181万人 平成30年:175万人

直近の平成30年で見ると、175万人のうち専業農業者は145万人。平均年齢は66.6歳。

一方、新規就農者は毎年5~6万人だから、それ以上の勢いで離農者が増えていることになる。新規就農しても生活の目途が立たずに諦める人が多く、現役の高齢化も変わらない。あと10年もすれば、日本の農業者はいなくなるだろう。

では、果たしてこれは問題なのか?問題ではないのか?

農林水産省のサイトを読むと、これを問題視しているのかどうか、正直なところよくわからない。

相変わらず、日本政府は農業を「経済活動」としてとらえている。農業人口が減っている原因についても、「長時間労働」「仕事の内容がきつい」「儲からない」などの理由で農業が敬遠されていると考えているらしい。そこで、あくまで経済活性化の一環で農業振興を考えている。つまり、いかに楽をして儲かるかという視点で政策を実施しているのだ。例えばIT化とか、農地の集約による効率化とか。

これで、農業人口が減っても、生産量は確保できるという。

それで、税金をたくさん投入するのだが──

たとえば「自動走行の機械を使えば効率よく食糧を生産できる」という言葉があったとする。これって、広大な田んぼや小麦畑ならわかるが、ほかの野菜類はそうはいかない。猫の額ほどの田んぼや畑に大型機械が入れるのか? いや、「そもそも論」としてもっと大きな問題を抱えている。

田植え機や種まき機、収穫機を使うのはいいが、ある時期一斉に田植えが始まり、収穫時期も重なる。だから、機械はそれぞれの生産者が個別に所有しなければいけない。誰がそのお金を出すのか?

最近、いろいろな生産者を訪問して、率直な考えを聞いているのだが、農業の現場では、いまの政策に賛同している人はほとんどいない。ということは、あと10年という短い期間で、日本の農業が壊滅することは必定だろう。おそらく、この流れは変えられない。あとは、個人個人が家庭菜園を楽しむだけのスタイルになる。

そうなったとき、はて、自分はどうしているだろうか。

10年後、まだ身体が動く生産者は、個別にお店や個人の販路を持っていて、不特定多数に作物を出荷することはあり得ない。私も、自分の家族が食べる分は差し引いて、知り合いに販売する形をとっているだろうと思う。あとは、山奥に引っ越して、自給自足のコミュニティをつくるのか。

そして、大多数の消費者は、スーパーやネットで海外からの輸入食糧を買って、日々の生活を送ることになるだろう。

ひとつ気がかりなのは、いまわれわれが食べている作物の安全性だ。輸入作物にしても、国産作物にしても、安全性という視点で考えると決して楽観できない。若い世代のがんや白血病、糖尿病が増えている。農業人口の減少、作物の質の劣化、どちらも深刻な問題であると私は思うののだが。

安全で質の高い食糧の生産力は、国の力そのものだと思う。しかし、そういう考え方そのものが、いまの日本では流行らない。となれば、息をひそめて、共感できる人だけでつながっていくしかないのかもしれない。

2019年2月 7日 (木)

お金で食べ物が買えるという幻想は、間もなく消える

2019年という年は不思議な感じで明けた。明けたといっても、太陽暦の1月1日ではなく、その少し後、1月21日のスーパームーン(満月)のころ、どうも身体の調子がおかしかった。それから、周囲の動きがあわただしくなった。少なくとも、私の身辺の社会は、急激に変化を始めている。従来になかった人のつながり、モノのつながりが起き始めている。

満月は、地球に大きなエネルギーをもたらし、人間に影響を与えると昔から考えられてきた。もちろん、月の動きが農耕に対しても大きな影響を与えることはよく知られている。だから、月に関する情報は、昔から大いに気にしていた。そのなかで、先月と今月20日の満月は、非常に大きなエネルギーをもたらすと言われていたので、どんなことが起きるか、内心楽しみにしていたのだ。

その結果、

この数か月、頭の中でモヤモヤしていたことが、ひとつ明確になった。それが、今回のテーマである「お金で食べ物が買える」という考え方が、実は幻想だったという事実だ。

あまりに過激なことなので、このようなことは文字にすべきでないのかもしれない。しかし、自分の意識をはっきりさせる
ためには、大切なプロセスだと思っている。

今現在、多くの人がお金を出して買っている「食べ物」は、本当の食べ物ではなく、いわば「食べ物もどき」である──これが第一の事実だ。ただし、これには前提条件がある。「食べ物=我々が健康に生きていくための糧」とした場合の話だ。

回りくどい言い方になってしまうが、日本人の2人に1人ががんになるという現代では、いま多くの人が口にしている食べ物は、我々を健康にはしてくれない。むしろ、大勢を病気にする、得体のしれない物質だと思ったほうが良い。

逆に、我々を健康体に導き、豊かな生活をもたらしてくれる「本物の食べ物」は、市場にほとんど出回っていない。もちろん、私が育てている野菜は、「本物の食べ物」のひとつであると思っている。そして、私が懇意にしている米農家からの玄米。これによって、私と家族、とりわけ孫たちは、信じられないほど健康体を維持している。

この玄米や野菜が、全国どこでも買える米や野菜と違うのか?と聞かれれば、同じわけがないと、今は断言できる。そして、本物の食べ物は、お金では買えないという事実が、まもなく世間的に明らかになるだろう。これが第二の事実だ。

例えば、肥料や農薬をまったく使わないすごい米や野菜は、インターネットの通販で紹介されている。ところが、よく見ると、本物の食べ物は、すぐに売り切れてしまって、現実には買えないことに気づくだろう。すでになじみのお客さんと生産者が結びついていて、その中に割って入るのは難しい。逆に、通販ですぐに買えるオーガニックの野菜や果物は、正直なところ私は買う気がしない。

これまで、人を疑うという思考回路がなかった私は、本当に多くの絶望を味わってきた。だからいま、私は「疑わない」という考え方をやめて、直接会って、どんな人柄か見極めて、ひとり、またひとり、信じられる人間関係を作り直している。(そんなの当たり前だと叱られそうだが)信頼に足る人は、ごく限られているからだ。

実は私の畑の野菜たちも、昨年の春までは近くの直売所などに出荷していたのだが、だれが買うのかわからない状況をむなしく感じたので、出荷を止めている。たぶん、今後は不特定多数の消費者に野菜を販売することはしないだろう。それなら、家族と、仲の良い人たちに分けることを選びたいのだ。

唯一、オーガニックスーパー「クランデール」にだけ、以前からHalu農法を応援していただいてる川田裕司社長とのご縁を大事にして、野菜を販売していただいている。そこでは、川田社長がHalu農法の野菜であることを告知して、それをめがけて買いに来てくれる、顔の見えるお客さんのみに販売されるので、ぎりぎりOKと自分では考えている。

高いお金を出せば、本物の食べ物が買える?

少なくとも私は売らない。たぶん、本物の食べ物をつくっている人たちも、同じ気持ちだろうし、そのことが今年、より鮮明になってくるのだと思う。

★★★★★

ちなみに、私のこれからの役割は、本物の食べ物と接点のない人たちのために、「自分で本物の食べ物を育てる技術」を紹介することが第一、そして「本物の食べ物をつくっている人たちとの接点の場」に案内することが第二だと考えている。

2018年12月 9日 (日)

まだ日本は死んでいない‼ 鈴木忠夫さんという自然農法家

Photo_2千葉県香取市に、米や麦、大豆、野菜全般、ようするに塩以外のほぼすべての食糧を自前でつくっている鈴木忠夫さん(60)という凄腕の農業者を尋ねた。(写真中央、左はオーガニックスーパー「クランデール」の川田裕司社長)

鈴木さんは、代々農家ではあるけれど、祖父は桶職人、父は建具職人だったそうだ。鈴木さんも少しは建具の仕事を覚えたが、20歳のときに農業一本に仕事を絞ったという。農薬は使ったことがない。「初めは化学肥料を使ったけれど、23歳の時にすっぱり使うのを止めました」。
 
「なぜ?」と問うと、鈴木さんは一瞬考え込んで、「いやあ、(使っちゃ)ダメだと思って」と言葉少な。直感的に安全で美味しい米や野菜を作ろうと決心したようだ。優しい穏やかな口調で、言葉少なく、一瞬一瞬を大切に生きている人だと感じた。

化学肥料は止め、堆肥を使った。30歳で堆肥を止めて米ぬかだけを使うようになった。40歳のとき、「肥料は要らないことに気づいた」ため、無肥料栽培になった。それから20年、米も麦も大豆も野菜も、すべて無肥料栽培を続けている。

畑に茂っている春菊の葉を千切っていただくと、私はその美味しさにショックを受けた。自分の畑の野菜も美味しいと思うけれど、鈴木さんの野菜の美味しさは次元が違うと感じた。野菜の味は、生産者の人柄が出てくると言われている。それは本当のことだと確信する瞬間だった。

鈴木さんと同居している母君は、黒大豆で自家製味噌を作り続けている。ご近所では鈴木さんの農業が異端扱いだそうだが、味噌の美味しさは大評判だという。そして今年、「初めて醤油を作ってるんですよ」と鈴木さんは淡々と語ってくれる。米も麦も自家製なので、それが可能なのだ。

異常気象をものともせず、機械にも頼らない。米については、苗づくり、田植え、刈り取り、天日乾燥まで、自分の身体ひとつで農作業をこなす。完全な無肥料・無農薬栽培であらゆる作物を育てる本物のプロフェッショナルに初めて出会った。

世界に天変地異が起きても、決してへこたれず生き残る知恵と技術が日本に残っている。まだ、日本は死んでいない。

2018年12月 5日 (水)

やはり栄養価は高かった‼~ハル(Halu)農法

自然農法の研究を始めて8年になる。そしていよいよ、その野菜の栄養分析を行う時期が来た。つい先日、手元に速報が届いた。それによると、一般に出回っている野菜の平均値を上回る数値が検出され、完全な無肥料の野菜のほうが、肥料を使った野菜より優位であることが証明された。データ一覧

今回、ハル(Halu)農法を応援してくださっている千葉県松戸市のオーガニックスーパー「クランデール」の川田裕司社長のご厚意により、栄養分析の機会をいただいた。検査を依頼したのは都内の株式会社メディカル青果物研究所。2万件の調査データを持っており、「野菜の価値は、抗酸化力、免疫力、解毒力で決まる」という視点から、各種野菜の分析を行っている。

これまで一般に行われてきたミネラルやアミノ酸などの成分分析と違い、病気にならない、あるいは病気を克服するための栄養価という観点からの検査で、以下の4項目について調べていただいた。

1. Brix(糖度)
2. 抗酸化力
3. ビタミンC含量
4. 硝酸イオン含量(有毒性、えぐみの原因)

対象品目は落花生、大根、小松菜、パクチーの4種類。これは、自家採種をしていて、将来にわたって無肥料栽培を続けていけることがわかっている品種を選んだ。そして、気になる調査結果だが、例えば落花生の場合、以下のような数値になった。

1. Brix(糖度)  1.3倍
2. 抗酸化力    3.7倍
3. ビタミンC含量 1.4倍
4. 硝酸イオン含量 検出限界値以下

これは、平均値に比べてかなり高い数値だそうだ。たとえば、抗酸化力は、植物ストレス耐性を調べるもので、各種野菜の平均値が50~70となっているが、ハル農法の落花生の場合178という数値になっている。

そして他の3種類の野菜についても、すべての項目で平均値を上回っていたのが、今回の調査の大きな収穫だった。

比較対象の2万件のデータベースには、慣行栽培だけでなく有機栽培の野菜も含まれたものなので、少なくともハル農法の野菜は、肥料を使う野菜に栄養価で負けてない栄養価を持つことが証明されたことになる。

これらの野菜を栽培している千葉県我孫子市の本社農場は、改良を始めて2年半を経過したばかりなので、これから野菜の栄養価はさらに上がっていくだろう。とても楽しみだ。

2018年12月 1日 (土)

ベネズエラの惨劇~餓死する乳幼児たち。その原因は?

18venezmalnutritionslideuti7superju地球の裏側では、想像を絶する恐ろしいことが起きている。日本のメディアで、ごくたまに見かけるのだが、南米ベネズエラの経済破綻、政治破綻による惨劇は、我々の想像以上に厳しいらしい。

石油の埋蔵量では世界一と言われ、もっとも裕福な国のはずだったベネズエラ。すでに総人口3,000万人のうち、230万人以上が周辺国に脱出し、残された国民は、2,500%のハイパーインフレによって紙幣が紙屑になり、食糧を輸入することができず、飢えているという。

1歳児が餓死した写真もネット上にアップされているが、この事態は事実らしい。

なぜこのような事態になったのか? いまの政治の無力さを非難する記事がたくさんあるけれども、どうも、その原因について納得できる分析や評価が見つからない。しかし、理由は明白だ。

もともとベネズエラは、食糧生産にまったく力を入れていなかったことがわかっている。石油を売って、食糧を海外から輸入すればいいと考えていたからだ。ところが、2014年ごろから原油価格の低迷によって外貨不足になり、食糧を輸入するお金が一時的になくなってしまったという。

石油を増産するタイミングを逸したことで、食糧輸入が止まった。

つまり、国内に食べ物がない状態になってしまった。

一瞬でもそうなると、食糧の価格は一気に跳ね上がる。すると、それに引きずられて急速なインフレが止まらなくなる。2,500%のインフレということは、大根1本100円だったものが、単純に2,500円になる。家賃10万円が250万円になる。結局、割を食うのは貧困層で、そのなかでも弱い存在である子供たちが飢え死にするという、いまの日本では想像できない状況に追い込まれているのだ。

今年8月、ベネズエラ政府は5桁のデノミ政策を実行した。つまり、10万円を1円に切り替えた。となると、貯金1億円が1000円、100万円が10円になる計算だ。これによって経済はさらに危機的状況になっているという。どんな恐ろしいことになっているのか、もはや私にはイメージできない。

もとをただせば、食糧の輸入ができなくったことが引き金だったはず。食糧自給率の低さが、一気に経済破綻を招いたのに違いないのだが、なぜかメディアや専門家たちはそのことを言わない。

石油の産出国であるベネズエラでさえその事態に陥ったとなると、石油もない、食糧自給率も実質的にゼロ%である日本は、この先本当に大丈夫なのか?妙に不安な気持ちに襲われるこの頃だ。

*写真は、クーリエ・ジャポンの関連記事より引用

2018年11月11日 (日)

自給自足は可能なのか?

自給自足は、個人の問題として考える場合と、コミュニティーあるいは国家として考える場合では、いろいろ条件が異なるかもしれない。しかし、基本的なことは共通している。

「1,000年後、10,000年後も自給自足可能な農業技術を我々は持っているのか?」

答えは、(現時点では)「ノー」と言うしかない。前回の記事で書いたように、肥料は有限なので、1,000年どころか、下手をすれば数十年で枯渇してしまう。そこいらの雑草や木の実を食べて生きていけるなら話は別だが、たぶん無理だろう。

当然、70億以上の人間の食糧をまかなえるはずもなく、近い将来、地球はとんでもない食糧難パニックに襲われる。これは寝ぼけているわけでなく、すっきり目覚めた脳みそで近未来を予測しているのだ。

もともとジャーナリストとして仕事を続けてきて、政治、経済、社会、医療、福祉、教育といったさまざまな分野の最先端の情報に触れる機会をいただいてきた。普通なら、これだけ多くの分野となると、独学では「広く浅く」といった知識になりがちだと思う。

ところが、ジャーナリストという仕事は、第一線で活躍する人たちに直接取材するという特種な仕事だったために、純度の高い情報を、とても効率よく得ることができた。その意味では、おそらく「広く深く」事象を理解することができたように思う。

そうした経験が「日本という国が崩壊し始めている」という警戒感を呼び起こし、「自然農法に突っ込め」と無意識に私の人生を誘導してきたのかもしれない。そしていま、自然農法の認知度がいまだに低いいまま、いよいよ地球全体に赤信号が灯ったように感じている。とくに食糧問題は、かなり深刻さを増しているのではないか。そう感じる理由は以下のことだ。

1. ここ数年、異常気象の度合いが強くなっている。
2. 難民の問題が世界中に飛び火している。
3. アメリカをはじめとして、欧州にも孤立主義化の傾向が見え始めている。(肥料原料の囲い込みが間もなく始まる可能性あり)

ざっとこの3点が思い浮かぶ。そして、日本の状況はさらに深刻だ。

4. 少子化が加速している。
5 農業の担い手がいない。
6. 実質的な食糧自給率が相変わらずゼロ%のままで、次の手を打とうとしていない。

いまだに日本人は誰も気づいていないようだが、いまの日本は有史以来、もっとも情けない国の姿をさらしている。それが食糧自給率ゼロ%という現実だ。

地球の生き物のなかで、自分で食べ物を調達できない動物を呼ぶ言葉がある。それは「家畜」と「ペット」だ。

彼らは、エサを与えられるかわりに、卵を産んだり、乳や自分の肉を提供したり、あるいは走らされたり、芸を披露させられたりしている。つまり、エサをもらって何らかの仕事をさせられているのだ。

それ以外の動物は、必ず自分の力で食糧を確保している。

では、いまの日本人はどうだろう。食糧自給率ゼロ%ということは、海外からエサ(あるいはエサの元=肥料=)を与えられて、何らかの仕事をさせられているにすぎない。それは「家畜」として生活している証拠ではないのだろうか。

食糧を自分で確保できない動物に「本当の自由」はない。だからこそ──

自給自足できる農業技術(自然農法)は、いまの日本にとって、かけがえのない技術ではないだろうか。なにも、個人個人すべてが自給自足する必要はないとしても、国家として自給自足できる技術や仕組みを作らなければ、家畜としての立場から脱出することはできない。

そして、肥料に頼らない技術を確立できなければ、結局のところ日本だけでなく世界で食糧がなくなり、日本は最初に見捨てられることになるだろう。

このメッセージは、受け取ってくれる人が全くいないかもしれない。しかし、せめて自分の孫の未来を守るために、へこたれずに頑張っていこうと、最近あらためて思う。

2018年11月 4日 (日)

二択問題。日本の農業はいつまでもつか? A 40年。B 永久。

今か今かと待っていたが、いつまで経っても議論にならない。本当に不思議な国だ。

日本の食糧自給率は年々低下していて、直近の数字ではカロリーベースで38%だという。しかし、もっと深刻な問題がある。それは、肥料の自給率だ。

肥料の3大要素と言われる窒素、リン酸(リン)、カリ(カリウム)は、いずれも天然資源を原料にしている。窒素は石油・天然ガス、リンとカリウムは天然鉱石。日本は3つとも、100%輸入に頼っている。

つまり、本当の食糧自給率はほぼゼロ%なのだ。

そもそも自給率ゼロ%の状態で独立国家と呼べるのかさえ疑問だが、そこに恐ろしい問題が隠されている。天然資源の埋蔵量だ。採掘量から計算すると、原油は40年、リン鉱石が300年、カリウム鉱石が370年だという。
*データはみずほ情報総研より。

肥料の中でも「特に重要」と農家が考えている窒素肥料は、40年後になくなってしまう。仮に天然ガスで延命できる可能性があっても、輸出国がまず外に出さないだろう。

リン鉱石については、「石油より早く枯渇する可能性がある」と一時大騒ぎになり、アメリカは輸出を停止し、中国もいずれ禁輸措置を取ることは必至だ。そうなったとき、日本は選択を迫られる。

餓死か、100%海外からの食糧に頼るか。

しかも、遠い未来の話ではなく、いま生まれてきている子供たちが働き盛りになるころ、確実に目の前に現れる問題なのだ。日本の政治家や食にかかわる人たちは、本当にこのまま放っておくつもりなのか? 本当に気づかないのか、あるいは知らんぷりを決め込んでいるのか?
 
「農業の成長産業化」と政府は言うが、どうも怪しい。というのも、国立大学の農学部の教授や、農水省の外郭団体の専門家など、複数の人たちから、ある妙な言葉を聞いていただからだ。

それは、「日本で(食糧を)作れなかったら、輸入すればいい」という言葉だ。それを聞いて仰天した私は、すかさず突っ込んでみた。「それは、日本の政府は、実は日本に食糧問題はないと考えているということですか?」と。(つまり、食糧自給率を上げようという政策はカムフラージュなのか?という質問)

その質問に対し、いずれも「Yes」だというのだ。

もし、私が新聞記者の名刺を持っていたら、そんな答えが返ってくるはずがない。私が自然農法の研究にとりつかれた頭の狂った人間だと思って油断したとしか考えられない。しかし、狂っているのは、本当に私のほうなのか?

「別に輸入食糧だけでいいよ」という人はそれで良いだろう。しかし、私はそう思わない。子供にも、孫にも、食糧を100%自給する環境で生活をしてほしい。そのためには、肥料に頼らない農業技術が必要なのだ。

もし、自然農法がしっかり普及すれば、家畜の飼料作物も自給できるようになる。すると、自然由来の家畜糞が良質な肥料になるから、肥料栽培もある程度継続できるようになるはずだ。

いずれにしても、肥料原料の輸出国が禁輸の判断を早めれば、それで日本の農業は終了する。そして、肥料原料がいよいよ枯渇したとき、食糧輸入もできないわけなので、我々の子孫は餓死するしかない。

自然農法の研究に課せられた役割は、とても大きいのだ。

*文章をすっきりさせたくて、ですますを改めました。

2018年9月 6日 (木)

自然災害への備え

北海道の地震はびっくりしました。とくに全戸停電は、想像以上に生活への影響が大きいと、知人、友人からの安否の情報が届きます。
  
この地震のニュースで思い出すのは、7年前の東日本大震災です。もちろん、電気も止まりましたが、物流が途切れて、スーパーから食品がなくなっていく様子は、とても不安に感じたものです。このとき、「やはり日本の農業は、自然農法を確かな技術にしていかなければいけない」と強く思いました。
 
今年は全国的に異常気象が続いて、(もちろん、私の畑も雨が全く降らず)えらいことになりましたが、ここまでくると、この先をどうしていくか悩んでしまいます。

なので、気候に左右されない植物工場のような先端技術に世間の注目が集まるのは、とても自然なことのように感じます。だからこそ、あえて発信したいのは、自然農法の理論は、植物工場ととても相性が良い可能性があるということです。

この7年間は露地栽培のみで研究を進めてきたのですが、一部、ハウスでの栽培実験をしたことがあります。そして、とても成績が良かったという実績があります。具体的には、窓の開閉など動作確認するためのビニールハウスで、初めて作物を育てたことがあります。

それまでは、本当に機械の動作確認だけで、10年以上前にハウスを建ててから、一度も野菜を育てことがなく、もちろん、潅水設備もありませんので、ほぼ砂漠状態だった場所です。そこで春から高畝を造成し、水やりもできるようにしたところ、なんとわず4か月後には大玉スイカができてしまったのです。

たぶん、自然農法(とくにHaluの理論を使った場合)は、生態系のバランスが取れるまで時間のかかる露地よりも、むしろ野菜と共生微生物の関係を整えるだけのハウス栽培のほうが、効率よく作物ができるのではないか、と考えているところです。

Halu農法の理論そのものは、ほぼ間違いないと確信が持てるようになったので、これからは、Halu農法との相性が良い作物とか、果樹栽培など、一歩踏み込んだ実用化の研究に打ち込んでいく予定です。

自然災害に強い農業──なんとか現実のものにしたいと思っています。