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カテゴリー「Halu農法の理論」の記事

2019年11月 6日 (水)

自然農法の新しいステージへ ~ Haluの世界その24

自然農法は、これからどこへ向かうのか? 理論編の記事は約1年ぶりになるが、ここにきて新しいステージが見えてきたので、まとめておこうと思う。

まず、日本の農業は相変わらず遅れている。たとえば、Haluの世界その8で書いた通り、植物の生態についての誤解が初歩段階で解けておらず、「肥料とは何か」という問いに明快な答えが出ていない。農業人口はみるみる減り、新しい農業へのチャレンジャーも、出ては消え、出ては消え。環境汚染はさらに進み、農地の破壊は続く。

農薬への警戒感から有機農業へのあこがれを持つ人は、おそらく増えているに違いないのだが、植物の生態を誤解したまま参入しても、いずれ行き詰まるのが目に見えている。つい最近も、千葉県内で20年以上バイオダイナミックという有機農業を続けてきた方が、先日の台風(強風と豪雨)で農場が壊滅的な状態になり、年内に離農することを決断した。

とはいえ、現役の生産者が覚醒しないものは仕方がない。日本の農業は、このまま衰退していくことは間違いないだろう。しかし、私も諦めるつもりはないし、自然農法への世間の関心も、以前よりはずいぶん高くなっているかもしれない。

Kimg0498 今回、この記事で伝えようとしていることは、Halu農法はある程度完成し、いよいよ次のステージに向かう準備が始まっているということだ。具体的には、今年の夏にいろいろな野菜を狙って栽培することが可能になった。スイカやカボチャ、キュウリやナス、トマトなどなど。大根はもともと量産の目途がついている。写真は、1畝32株で、4㎏前後のカボチャが約100個収穫できたときのもの。1反に換算すれば1.5tは収穫できる計算だ。千葉県のカボチャの収量は1.2t/反だから、収量は慣行農業をはるかに超える計算になる。

そこで、2020年春からは、有志(新規参入希望者や自然農法を学びたいシニア層)とともに、本格的なHalu農場の経営に取り組むことになっている。土壌改良中の本社農場のうち約6反について、年間の栽培計画や育苗、播種、管理、収穫などの作業も話し合って決め、販売益を分け合う新しい形の営農スタイルを模索する。

これは、Halu農法によって十分に農業経営が成立することの最終的な実証実験と位置付けている。

そして、私自身の次のテーマは、「気候変動に対応する自然農法の技術」を開発することだと考えている。自然農法の研究を始めた8年半前と比べて、明らかに気候が不安定になっていて、4年前に特許を取得したころより、さらに洗練された理論や手法が求められている。なかでも、ここ数年の高温障害と干ばつには、マルチが予想外に効果を発揮したことで、次はどんな気温でも、どんな雨量でも安定して作物を栽培できる技術が、いよいよ必要になってきたということだと思う。

従来の肥料栽培をそのまま続けていても、昨今の豪雨に見舞われたら、おそらくまともな野菜は育たないことが明白であるし、平均気温の上昇によって発生する虫害や病害には、ますます強力な薬剤が必要になってくるから、生産者の健康被害も、土壌汚染も、さらに加速してくるだろう。

新しいステージは、「微生物を見る(想像する)目」を養い、自由自在に仲良くなる能力を身に付けることだと思う。結構楽しみだ。

2019年5月 3日 (金)

有機農法と自然農法はどう違うのか? その根本的な違い

最近、「オーガニック」という言葉が流行りだしている。気になるのは、消費者の安全志向から始まった流行ではなく、「オーガニックビジネス」の宣伝に踊らされている、文字通りの「流行り」のように見えることだ。オーガニックの基礎である「農業の現場」を知らない消費者は、おそらく格好の餌食になるので、注意してほしいと願う。(つまり、原料に農薬や、ホルモン剤などの肥料が使われていても、加工品になると消費者には見分けがつかないので)

いまの時点では、健康ビジネスが盛り上がっていて、「健康になるためには、オーガニックの食べ物(衣類や化粧品も)が良い」と、だれもが言う。この「だれもが言う」とか「だれもが考える」というところに、最も危険な落とし穴があるものだ。そもそもオーガニックとは何なのか?

正直なところ、よくわからない。直訳すれば「生き物由来のもの」「自然由来のもの」という感じで、範囲が広すぎてつかみどころがない。農業の現場レベルでいうと、「農薬、化学肥料、遺伝子組み換え種子を使わない」という基準があって、日本語では「有機農業」とか「有機農法」「有機栽培」という言葉が使われている。では、化学肥料を使わず、有機肥料を使う農作物は本当に安全なのかというと、それがそうでもない。たとえば、遺伝子組み換え作物で、しかも農薬や抗生剤たっぷりの飼料作物を食べている家畜(牛、豚、鶏)の糞を使った有機肥料については、とくに規制はなく野放し状態。だから私個人は有機肥料も安全ではないと思っている。

と、ここまで書いて、ようやく本題に入ってきた。安全だと思われているオーガニックの作物、つまり有機農法によって栽培された作物と、自然農法の作物、どこがどう違うのか? 自然農法の作物はオーガニックの作物ではないのか?

つい先日、ヘルスコーチという専門職の方々と打ち合わせをする機会があり、深く考えさせられる場面があった。それが、この記事のタイトルでもある「有機農法と自然農法の違い」に関する問題だ。ヘルスコーチという職種に限らず、医療や栄養学などの専門家は、だれもが「オーガニック」を薦めている。だから、食べ物については有機農法の作物なら何でもOKだと考えている。そして、専門家の多くは、自然農法の存在を知らないという。たとえ知っていても、有機農法と自然農法の違いまで知っている人はいないようだ。

そんな話になると、いままで頑張ってきた努力では、まだまだ足りないのだと思う。しかし、落ち込んでもいられない。その場で「有機農法と自然農法の違い」について説明してみた。すると、とりあえずは理解していただけたようだ。その説明とは以下のものだった。

Photo 「有機農業に限らず、いまの農業は“循環”の考え方を基本にしている。植物を動物が食べ、動物を微生物が分解し、分解された栄養で植物が育つ。その考えを基本にしているから、植物の栄養分である肥料を畑や田んぼに入れている。その栄養分を化学肥料に頼るのか、有機肥料に頼るのかどうかは別にして、植物の栄養分を施す考え方は同じである」

「自然農法は、“循環”ではない。地球の生命は、38億年前に生命の祖先である微生物が生まれて以来、種類、量ともに増え続けている。過去、5回ほど隕石や気候変動などで大量絶滅の危機を経験しているが、常に生命は増え続けている。その自然の仕組みを応用した技術だから、肥料は要らないし、栄養価の高い作物ができる。それが自然農法である」

図は、Halu農法基礎講座のテキストで使っているもので、地球の生命は、生態系ごと徐々に膨らんできている。つまり、循環ではないのだ。

こんなことをいう農業の専門家は、日本には存在しないかもしれない。ところが、物理学や生物学を専門にしている人と話をすると、この話はストンと落ちるようだ。結論から言うと、有機農法だろうが、自然農法だろうが、安全で美味しければどちらでもいい。しかし、両者は根本的に違う考え方で農作物を育てているのだということは、そろそろ声を大きくして説明しなければいけないと思う。

2018年7月 9日 (月)

植生の変化を見極める~Haluの世界その23

Kimg1440Haluの土壌改良を始めると、うれしい感情が沸き起こる場面がいくつかあります。そのひとつが、「エノコログサ」が生えているのを見つけた瞬間です。エノコログサは、イネ科の雑草で、「猫じゃらし」ともいわれている、全国どこにでも生えている草です。

とても野菜など育ちそうもない場所で土壌改良をすると、つまり、超高畝を造成すると、最初のころは、以前からそこに生えていた雑草が生えてきます。それは当然のことなのですが、3か月とか半年もすると、生えてくる雑草の種類、つまり植生がどんどん変わってきます。

なかでも、イネ科の雑草であるエノコログサは、水はけの悪いところには生えてきません。また、農薬を多用した畑でも生えてきません。

そして、エノコログサが生えてくると、いよいよ野菜類の育つ条件が整ってきた、ということがわかります。このことは、過去の経験から学んだことなので、科学的に証明されたことではありません。まあ、自然農法の理論そのものが他にないし、特許を取得したとはいえ、いまだに個人の仮説の域を出ていないことに、寂しい気持ちはあります。

しかし、エノコログサを発見したときのうれしい気持ちは、やはり何度味わっても良いものです。(実際に野菜はできていますから)

拠点をいまの農場に移したのは2年前です。地主さんは、その1年前まで慣行栽培をされていて、とくに除草剤を使って、きれいに畑を管理していたようです。私は、「1年あれば農薬の効果は切れる」と考えていたのですが、実際には違いました。

除草剤が使われた農地では、同じイネ科でも「メヒシバ」という雑草が生えます。本社農場も同じように、メヒシバしか生えてきませんでした。それどころか、本社農場にはメヒシバすらまともに生えてこない場所があります。よほど多量の除草剤が使われたのだろうと思います。もちろん、いくら超高畝を造成しても、野菜はなにひとつ育ちません。

いま1.3haの農場で土壌改良中ですが、野菜ができ始めたのは、遊休地でほったらかしにされていた場所です。そして、除草剤が使われた場所は、予想以上に苦戦しているというのが実態です。

そんな苦戦続きの場所で草刈りしていると、なんとここ数日の雨によってエノコログサがちらほら生えてきているのを見つけました。ようやく、除草剤の影響が弱まってきたのです。これでこの秋以降、いろいろな野菜がしっかり育つようになるでしょう。

エノコログサを見ると、なぜか温かい気持ちになります。

2018年6月25日 (月)

超・超高畝の効果~Haluの世界その22

久しぶりにHaluの世界の記事です。今回は、高畝の効果についてです。

千葉県我孫子市の本社農場は、利根川沿いにあり、砂地の畑です。総じて水はけは良いのですが、夏場の乾燥には苦しめられるという環境にあります。ところが、地面の下はどのような地形・地質になっているかわかりません。

約1.3haの農場のなかには、水はけが悪く、うまく野菜が育たない区画もあります。おそらく、真下のごく浅いところに硬盤層があって、雨が降ると水が溜まってしまうのではないかと推測されます。

これは、水田から畑に転換した農地も同じです。水田は、水が抜けないように50cmぐらい下のほうを重機で固めていますから、畑に変えても、その影響が大きく残ります。そこで──
Kimg1372
5月上旬のことです。ニューヨーク在住の日本人男性が本社農場にボランティアに来てくれた際、Halu農法の実習の一環として、手作業で高さ70cmの「超・超高畝」を造成してもらいました。そしてその畝に、小豆を播きました。写真は、草が伸びているので高さが分かりにくいと思いますが、畝の長さは約5mと短いものの、さすがに70cmの高畝は迫力があります。

(普通は、高低差が40cmあれば十分ですが、40cmの深さまで掘ったために、掘り出した土を上に乗せて、高低差が70cmになったのです)

この2年間、この場所はいつもジメジメしていて、厄介な雑草しか育たず、ちょうど何か対策が必要だと思っていたところです。70cmの高さでどのような変化があるか、楽しみにしていました。

さて、小豆の成長具体はどうかというと、他の場所で4月の中旬に播いた小豆よりも明らかに良く育っています。超・超高畝の効果がこれほどとは、あらためて新鮮な驚きを感じています。

地上には、いたるところに植物が生息しています。水はけが良いところ、悪いところ。温かいところ、寒いところ。雨が多いところ、少ないところ。それぞれの環境に適応した植物が育ちます。

そして、それぞれの植物には、それぞれ相方になる微生物がいます。当然、雑草の相方と、野菜の相方は種類が異なります(現時点では私の推測です)。野菜の相方となる微生物は、空気の通りが良くて、なおかつ適度な湿気がある場所を好みます。

肥料栽培でも「水はけが良く、水持ちが良い畑」が理想とされていますから、これは肥料を使う使わないにかかわらず、共通して重要なことです。ただ、違いを考えてみると、「通気性と保湿性のバランス」がある条件に達したとき、野菜の共生微生物が一気に繁殖するのだと考えています。そうなれば、肥料を使うことなく、健康で美味しい野菜がたくさんできる。そういうことだと思います。

70cmの高さでこれだけの効果が出ているということは、「通気性を高めることが優先度が高い」ということかもしれません。水はけが悪い場所で自然農法を試すなら、超・超高畝はお勧めです。

ちなみに、土壌微生物がどれくらいのスピードで繁殖するかご紹介しておきます。以下は専門書からの引用です。土壌微生物が増える速度は、種類によっても異なりますが、平均的に考えると、10時間ごとに2倍に増える計算になるそうです。すると、順調に繁殖すると10日間でなんと1,600万倍になります。

今回、70cmの超・超高畝で素早い効果が見られたのも、この微生物の繁殖力があればこそだと思われます。

2017年7月23日 (日)

量子論~Haluの世界その21

量子論(あるいは量子力学)という言葉は、ここ数年、テレビでも多く見られるようになりました。とはいえ、すぐにチャンネルを変えてしまう人のほうが多いかもしれません。しかし、この量子論は、Halu農法を理解するうえでは、どうしても避けられません。

Halu農法について、これまで多くの人にあれこれ伝えてきました。が、すぐにピンとくる人と、まったく共感点が見いだせない人と、いまだに両極端です。

それでも、私の役目は「発信し続けること」だと信じて、あれこれ表現に悩んでいる日々です。そこで、今回はかねてから発信したいと思っていた「量子論」についてまとめてみることにしました。(量子というのは原子をつくっているさらに小さな素粒子などのことです)

ここで書くことは、量子論を理解していただくことが目的ではありません(正直、私にも理解できないことがたくさんありますから)。

そうではなく、Halu農法が基本にする「量子論」と、現代農業が基本にする「二元論」との違いをお話ししたいというだけのことです。

二元論は、とってもなじみのある考え方だと思います。たとえば「陰と陽」「プラスとマイナス」「善と悪」といった表現がそれです。農業に当てはめると「益虫と害虫」「善玉菌と悪玉菌」でしょうか。

これとは真逆で、「量子論」には基本的にプラスとマイナスといった対比する考え方がありません。プラスの原子核も、マイナスの電子も、どちらも量子から生み出されます(分類上、電子は素粒子のひとつだそうです)。ところが、量子がどのように動くのか、どんな働きがあるのか、よくわかっていません。

現時点で分かっているのは、「量子は確かに存在する」ことと、「プラスとマイナスのような二元論ではまったく説明できない、とても不思議な存在である」ことです。

しかし近年、量子論の優れた研究者がたくさん出てきて、興味深い説を数多く発表するようになってきました。それによると、たとえば昔はキワモノ扱いされてきた「幽霊の存在」などが、ごく当たり前の物理現象であることがわかってきたのです。

*****

Photoちょっと前置きが長くなってしまいました。写真は、今朝撮ってきた大豆の様子です。播種して17日目。とても順調に育っています。当然ながら、肥料も農薬もなし。そんなものを使わずとも、当たり前に育ちます。

ただし、今年は初めて灌水チューブを使っています。いくらHalu農法でも、異常な乾燥状態ではまともに野菜を育てるのは難しいでしょう。

逆に、水さえあれば、どんどん育ちます。この炎天下でも、たくましく育ちます。肥料、農薬なんてどうして必要でしょうか?

と主張すると、「畑にもともと養分が残っていたんだ」とか、「こっそり何か入れてるんじゃないか」という勘繰りや、最後は「信じられない」で締めくくられることがほとんど。こういう方は、思考の基本が「二元論」なんです。

そもそも養分があるとかないとか、害虫がいるとかいないとか、そういうレベルの話ではありません。

地球という場所では、私たち人間の食べ物はいくらでもつくることができる。ただそれだけのことなんです。

最後のまとめの文章が、とても抽象的なものになってしまって申し訳ありません。ただ、量子論について興味を持っていただけると、Halu農法は心に沁みるように理解していただけると思います。

いまはインターネットでいろいろな情報に出会うことができます。この機会に、ぜひ、新しい世界の空気に触れてみてください。

2017年4月23日 (日)

新種優先繁殖の法則~Haluの世界その20

Halu農法を支える自然観は2つあります。そのうちのひとつが表題の「新種優先繁殖の法則」です。このことは、自然科学の知見ではなく、Halu農法を開発するうえで到達した独自の自然観です。前回の記事でご紹介した「生命の無限拡大連鎖」と並ぶ、大切な考え方です。この2つをしっかり意識できれば、作物は思い通りに作れるようになると思っています。

「新種」というのは、地球に住むあらゆる生命のうち、新しく誕生した種族のことです。基本的には「人間」を意味しています。この地球は、新しい種族である人間が、他の古い種族に比べて繁殖しやすい環境にある、つまり、人間が食べる野菜や穀物、果樹は、他の植物よりも優先的に育つのです。

もう少し簡単に表現すると、農作物は放っておいても勝手に育ってしまう、そもそも地球にはその仕組みがある、ということです。たとえば、現代農法では、雑草の繁殖を嫌います。雑草がはびこると作物が育たないという理由で、せっせと雑草を抜きます。

しかし、Haluの畑では、雑草が発芽しても大きくなりません。成長が止まった雑草たちを尻目に、野菜がぐんぐん育ちます。なので、原則として雑草を抜く作業はありません。種を播けば、あとは収穫です。

この辺りは、従来の農法で栽培を続けている人にとって、受け入れがたい話に聞こえるらしいのですが、それが事実なので、そうとしか表現しようがありません。実際、畑の様子をご覧いただくと、「そのもの」が目の前に広がっています。私たち人間が好む野菜の種を播き発芽すると、他の雑草類、つまり人間が食べない植物のほうは、発芽しても成長が止まってしまい、野菜だけ育っていくのです。

興味深いのは、野菜の種が発芽していない場所は、雑草がそのまま成長するという現象です。

どうやら自然界は、新しい種族である人間の食べ物が、優先的に育つ環境にあるらしい。それが「新種優先繁殖の法則」というわけです。

ただし、野菜が育つには、特定の環境を整えなければいけません。それがHalu農法です。

まず初めに、2つの自然観をしっかり受け入れることが大切です。そのうえで、具体的な栽培技術を駆使して野菜を育てます。

2017年4月 9日 (日)

生命の無限拡大連鎖~Haluの世界その19

Halu農法を支える自然観のひとつです。これまでにも、同じ趣旨のことは書いているのですが、なかなか表現が難しく、悩みは尽きません。今回は、表題の通り「生命の無限拡大連鎖」という表現を試みてみます。(今回は、丁寧に書いてみたので長文です)
 
これまでの農業技術の基本になっている自然観は、「循環」です。植物を動物が食べ、動物の遺体を微生物が分解し、分解されたものが養分になって植物が育つ。「食物連鎖」という表現も理科の教科書に書かれています。この「循環」の考え方は、生態学であったり、環境学であったり、さまざまな学問にも共通しています。

ひとくちに「循環」といっても、具体的にはどんなイメージでしょうか。血液が身体のなかで循環するようなイメージ? 廃棄物を再利用して「循環型社会」を目指そうという標語もあります。共通するのは、「あるもの」がぐるぐる巡って元に戻り、それを繰り返していく状態です。

しかし、この「循環」という表現は、無意識のうちに、私たちの思考に大きな制約を与えています。それは、「循環している物質は、姿形を変えるだけで、その量は増えもしないし、減りもせず、一定である」という固定観念です。物理学とか化学にも「質量保存の法則」とか「エネルギー保存の法則」とか呼ばれている考え方もあるため、ほとんどの人が、この「循環」の考え方に疑問を持っていないようです。

そしてその延長に、現代農業の考え方があります。

よく農学の考え方の例として、窒素の重量換算が使われています。たとえば1反(1,000㎡)の畑でコマツナなどの葉物野菜を栽培したとき、収穫して畑から持ち出したコマツナの成分のうち、窒素の重量を計算します。もし、窒素換算で10㎏持ち出したとすると、畑に窒素肥料を10㎏補わなければいけない、という考え方です。
 
窒素を補うことによって、循環が成立し、半永久的に作物が栽培できる。──もちろん、窒素以外にも必要な栄養素がありますから、それらを総合して「肥料」と呼んでいます。半世紀前、化学肥料の登場は、「緑の革命」ともてはやされたそうです。

「そういうものだ」と教われば、「そういうものなのか」と受け取るしかありません。なので、この「循環」に疑問を持たないうちは、Halu農法なんて無用の技術です。むしろいかがわしいとさえ思うかもしれません。

そこで、ひとつ例を挙げて考えてみましょう。

どなたか近しい人が亡くなったときのことを思い浮かべてみてください。現代医学では、心臓の停止を「死」と定義しています。心停止の瞬間を医師が「死」と診断し、法的にも「死」が認められます。いまは少し複雑で、脳の血流が止まってしまい、「脳死」という考え方もありますが、いずれにしても、「死」の瞬間は、どこかにあります。

そこで疑問が生まれます。

「死」の0.1秒前と、0.1秒後では、物質的に何か違いはあるでしょうか? 

私たちは知っています。「生きている人間」と「死んでしまった人間」は、まったく別物であると。だから、近しい人が亡くなると、悲しみに暮れます。

しかし、死ぬ直前と死んだ直後では、物質としては、何ら変わっていません。そこでもし、私が「人間なんて生きていようが死んでいようが、肉の塊であることに変わりないじゃないか」などとつぶやこうものなら、きっと周りから非難を浴びること必至でしょう。

「生きている人間」と「死んでしまった人間」は、あきらかに違う存在です。ところが、人間以外の生き物(ペットを除く)について、現代人は生体と死体を区別しません。畑から生きているコマツナを収穫しても、「窒素10㎏持ち出したから、10㎏補おう」と、文字通り無機質に考えています。命を扱っているにもかかわらず、初めから「死体扱い」であることに、私たち現代人は大いに違和感を持つべきなのです。

現代人は、無機物の循環を基本に置いてしまったために、命の循環と物質循環を混同しています。とくに命を扱う農業は、命の循環を正しくとらえなければいけません。それがHalu農法の出発点です。

そしてここからが本題です。

地球が誕生してから間もなく(といっても数億年たってからですが)、生命の祖先である微生物が誕生しました。その微生物はひとつの細胞からなる身体を持っていて、単細胞生物と分類されます。やがて複数の細胞を持つ多細胞生物に進化します。多細胞生物は進化と分化を繰り返し、時間とともに生命の種類も数もどんどん増えてきました。

このような説明を聞いても、ほとんどの人は疑問を持たず、すんなり受け入れるだろうと思います。生命は増えている。これは直観的に理解できます。

では、農作物をつくる畑のなかの生命は?

増えていますか? 減っていますか? それとも一定量のままですか?

突き詰めて考えてみると、いまの農業技術は、畑の中の生命(といっても作物だけしか見ていないようですが)は、常に一定であることが前提になっています。しかも、生体と死体の区別をつけていません。だから「収穫して畑から持ち出した分を補う」と考えるのです。

しかし、もう一度地球の歴史を振り返ってみましょう。生命は増えてきています。人間の食べ物である植物は、何もしなくても育つようにできているはずですよね。しかも、何かの種族だけが増えるのではなく、すべての種族(微生物や昆虫、爬虫類、魚類、哺乳類、鳥類など)が調和を保ちながらいっしょに増えている──そこが最大のポイントです。

植物が何も生えていない空き地を想像してみてください。放っておくとどうなるでしょうか。雑草が生え、そのうち手が付けられないほど繁殖します。やがて背の低い灌木が生えてきて、雑木林になります。土の中では根が張り、微生物が増えます。微生物を食べる小動物が増え、さらに大型の動物へと食物連鎖は拡大しながら続いていきます。

地球の生命は、さまざまな種族が食物連鎖の調和を保ちながら、増殖し続けています。地球には、そもそもその仕組みがある、ということです。それが「生命の無限拡大連鎖」です。

Halu農法は、その自然観を基盤にしています。Haluの畑には、さまざまな生命がいます。豊かな生態系をつくり、調和したまま生命の数が増加します。その一環で農作物ができるのです。生態系のなかには、もちろん人間も含まれます。なので、作物も増えるし、人間も増えていくでしょう。

では、現代農業の技術では、生命は増えないのか?

肥料を使う畑で、例外的にうまくいっているケースがあるでしょう。極めて適切に肥料を投入することで、肥料を分解する微生物が増え、その微生物を食べる小動物が増え、バランスを取りながら生命が増える。その一環で、虫食いや病気のない健康な野菜もできる。

しかし、ほとんどは失敗でしょう。でなければ、農薬という商品が売られるわけがありません。肥料を使えば、その肥料を分解する特定の微生物が大繁殖します。そして、その特定の微生物を食べる特定の小動物が大繁殖します。バランスを欠いた拡大連鎖です。なかには病原菌や害虫がいて、作物をダメにします。そこで薬を使い、微生物や虫を殺します。

薬を使わず、野菜のほうを見殺しにするか、薬で微生物と虫を殺すか。どちらにしても、「生命の無限拡大連鎖」はありません。

結果的に畑が荒れて、耕作放棄地になると、直後から生命が増えていく拡大連鎖の仕組みが働きます。現代社会は、人間が手をかけるところ、生命はどんどん減っていき、人間が手をかけるのを止めると、生命が増えていく。そんなふうに見えます。

Halu農法は、土の中に何も入れません。そもそも地球に備わった仕組みを活用するわけですから、いまそこにある環境をそのまま使うだけです。大切なのは、「生命の拡大連鎖の仕組みが働きやすい環境を我々人間が整える」ことです。

環境が整うと、すべての生命が調和しながら増えていきます。野菜も自然にできるようになる、というわけです。

いつも理屈っぽくなってしまい、とても心苦しく思います。あとはHaluの畑を見れば一目瞭然です。Haluの畑に立てば、生命が大きく膨らんでいることを身体で感じることができます。たぶん、健康になります。

2017年3月27日 (月)

人類七千年の大計~Haluの世界その18

一般的な感覚では「大げさ」に聞こえるかもしれません。しかし、これからの人類社会は、百年単位ではなく、最低でも千年単位で未来を考える時代に突入していると思います。なぜなら、いまの時代に生きる私たちは、“千年に一度”と言われる大地震を経験してしまったからです。

たかだか百年先を見越した計画で、未来の人類の命を守ることができるでしょうか。かつて壮大なイメージを抱かせた「国家百年の大計」という言葉は、もはや死語であると感じます。そして、あの震災をきっかけに、Halu農法の研究を始めたことを考えると、「人類七千年の大計」という言葉が、いまの自分には一番しっくりくるのです。とくに命に直結する食糧生産技術ですから、「大計」と呼ぶにふさわしいテーマでしょう。

農業の興りは七千年前と言われています。そして農業技術は、いま行き詰まっています。もちろんその技術とは、肥料を使う技術、農薬を使う技術のことです。農家の担い手不足は、ずっと以前から指摘されていました。どう頑張っても担い手不足を打開できないということは、もはや従来技術に明るい未来は見えてこないのです。

そこで、次の七千年に思いを馳せ、人類の健康と幸福を実現するために、文字通り「技術の革新」が必要だということだと思います。Halu農法の研究は、そんな観点で取り組んでいます。それに、肥料も農薬も何も使わず、安全で美味しい野菜や果物がばんばんできたら、とっても面白いじゃないですか。

目指す世界人口は200億人。砂漠にも、高地にも、たくさん作物ができるようになるでしょう。世界中のどこに行っても食べ物に困らない。そんな世の中なることを夢見ています。

2017年2月 3日 (金)

すでに私たちは知っている~Haluの世界その17

たぶん、すべての人が知っていることです。けれども、ふだん意識しない、というよりむしろ「あえて意識の底に封印している」のかもしれません。それは、街路樹が自然に大きく育つということ。庭の柿の木が、毎年のように美味しい実を成らせてくれること。コンクリートの隙間から雑草が力強く生えてくること。(写真はFREEstagramから引用)

Freephotonature0016何もせずとも、植物は生えてきます。勝手に育っていきます。いつの間にか手が付けられないほど増えていきます。

「いや、野菜だけは違う。畑に養分を補わなければ、まともに育たないよ」

農業を仕事にしている人たちは、同じように言います。あるいは家庭菜園のベテランも。

本当にそうでしょうか。

なぜそう言い切れるのでしょうか。

そこに疑問を持ったら、あとは検証するしかありません。そうして到達したのがHalu農法です。べつに難しいことではなく、冒頭に書いた通り、野菜だろうが果物だろうが、植物である限り、環境が整えば、勝手に育ちます。それが地球の仕組みですから、そうとしか言いようがありません。

実際にうちの畑では、野菜も果物もできていますから、理屈などどうでも良いのかもしれません。しかし、理屈がしっかりしていれば、だれにでも再現できるようになります。農業の知識がなくても、だれにでも野菜や果物を栽培することができます。そういう仕組みを探って、理屈付けすることが、私の性格に合っていたのかもしれません。

とっても大変でした。が、振り返ればとっても楽しく充実した時間でした。

その理屈を試験的に文章化したものが、特許の出願書類です。特許が認められて、出願書類は公開されていますが、読むにはちょっと難しいと思います。なので、講座を企画して、ポイントだけテキストにまとめてみました。

受講していただいた方には概ね好評をいただいています。

実際にHalu農法を試みた方には、その効果を実感していただいています。

そして冒頭の話に戻ります。「結局、野菜を含めて植物は、自然に大きく育っていくのですね」

あとは、実際に試してみることです。

2016年12月 7日 (水)

新しい自然観~Haluの世界その16

先日、初めてのHalu農法講座を開きました。使用したテキストは、講座専用に編集したものです。Halu農法を実践するうえで、柱となる考え方に焦点を当てて文章化してみました。

そして、このテキストを編集したことで、明確になったことがあります。Halu農法は、やはり従来の自然観とは異なる、新しい自然観の農業技術である、ということです。この自然観を身に付けることで、美味しい野菜や果物は、だれにでも、楽につくることができると確信しています。

いま、日本も日本以外の国々も、これまでの常識や価値観では対応できない多くの問題を抱えているように見えます。政治も経済も、あるいは福祉も医療も。ちょっとした「改良」や「改善」ではなく、もっと根本的に立て直す新しい価値観や手法が求められているように感じます。

このブログを読んでくださる多くの方も、きっと同じような考えをお持ちだろうと思います。

そのことは、もちろん農業についても言えることです。

Photo写真は、今年春に借りた畑で出来たダイコンを持っている私です。春にもダイコンの種は播いたのですが(しかも大量に)、そのときはほぼ全滅しました。共生微生物もいないし、昆虫や爬虫類などの生態系もできていない。そんな環境では、まともに野菜はできないものです。

半年ほど時間が経過し、少しずつ生態系は整ってきます。まだ野菜の出来栄えは、数量としてはまばらですが、ダイコンもコマツナも、立派に育つようになってきています。なかでも、もっとも注目すべき点は、やはり「味」だと思います。透明感、清涼感、甘み、どれをとっても一級品だと感じています。これを、ぜひご家庭で、ご自分でつくってもらいたいのです。

農作物は、農家がつくるだけではありません。だれにでもつくれます。Halu農法であれば。

今回は、とても重要な視点について書こうと思います。

まず質問からです。私たち人類の祖先は、いつごろ地球に現れたかご存知でしょうか。唐突にすみません。私の世代は、小学生のとき「400万年前」と教わりましたが、いまは「700万年前」だそうです。

これだけ聞くと、随分遠い昔の話だと思われるでしょう。ところが、それはまったく逆なのです。「昔」ではなく、「つい最近」なんです。それが新しい自然観のポイントのひとつです。

「人類は、つい最近地球に現れた種族である」

よほど地球の歴史や宇宙に興味がないと、このての話はピンとこない方のほうが多いかもしれません。けれども、決して難しい話ではありません。

たとえ話をします。最近、温暖化の影響とかで、各地に鹿が増えているというニュースがときどき流れます。とくに鹿は、天敵である狼が絶滅してしまったため、すごいスピードで増えているのだとか。全国的にも有名な尾瀬沼(新潟、福島、群馬県境)は、鹿の繁殖によって、自然破壊が進んでいるそうです。

ところで、このニュースで不思議なことがあります。そもそも、なぜ鹿は増えているのでしょうか。答えは「豊富な食べ物があるから」です。

「食べ物があると、生物は増える」

これはごく当たり前のように感じます。そして、これこそがHalu農法の根幹を支える自然観なのです。

地球の歴史は46億年と考えられています。38億年前に生命の祖先である微生物が生まれ、海にさまざまな生物が進化し、増殖したとされています。さらに4億年前には植物や動物が陸上に進出し、地表にも多様な生態系が生まれました。そうして、ようやく最近になって、霊長類である人類が現れてきたのです。

そこで、先ほどの鹿の話と関連付けて考えてみましょう。なぜ人類は地球に現れたのか。それは、人類の食べ物が豊富にあったからです。

言い方を変えてみます。人類がこの世に現れてから食べ物ができた? 違いますね。初めに食べ物があったからこの世に誕生できたのです。つまり、地球の自然界は、人間の食べ物ができやすい環境になったから、人間という種族が生まれてきたのです。

「そもそもこの地球は、人間の食べ物(農作物)ができやすい環境になっている」

これがHaluの世界の自然観(のひとつ)です。

害虫も、病原菌もありません。自然と闘う必要もありません。まるで逆です。自然をよく観察すると実感できます。作物は文字通り自然にできるようになっています。この視点を持ち、Halu農法の技術を使うことで、驚くほど作物ができるようになります。