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2017年4月

2017年4月25日 (火)

スイカ苗の定植実験

昨日、スイカの種まきと、苗の定植実験を開始しました。

Halu農法は直播き栽培が基本なのですが、天候・気候によって発芽や生育が大きく変わってしまいます。そこで、今年からいよいよ育苗による計画栽培の技術開発に乗り出しました。

21「技術開発」などと大げさな表現ですが、養分のない畑の土を使った苗づくりは、結構難しいものだと思います。今年はスイカのほかに、トマト、ピーマン、トウガラシ、ナス(以上ナス科)とカボチャ、メロン(以上ウリ科)、トウモロコシ(イネ科)の苗をつくっています。ほかに野菜ではありませんが、花の種を播いて苗づくりに挑戦しています。

ハーブもかなりの種類を直播きしましたが、発芽がそろわず、難しさを実感しています。なので、こちらも苗づくりに取り掛かる予定です。

Photoさて、スイカの苗ですが、本葉が数枚そろうまで育てるのは一般的な考え方です。それとは別に、フタバのうちに定植してみることにしました。昨日の朝、定植したときは多少萎れてしまいましたが、一日経って、どうやら今のところ大丈夫そうです。

これで行けそうであれば、「フタバで定植」がもっとも効率的です。とはいえ、ハウスから外に出てからの、これからが大変です。無事に育ってくれることを願っています。

Photo_2ところで、春野菜の主力にと考えているコマツナは順調です。これなら5月中旬から下旬に収穫できそうです。(写真右)

変わったところで、果樹の苗木の様子をアップします。右下の写真はナシの苗木です。初めはただの「棒っきれ」状態でしたが、しっかり葉が出てきてくれました。果樹など生まれて初めてですが、ほかにリンゴ、モモ、ミカンとレモンの苗木もあります。3年後に実が成るそうですが、どんなふうに成長していくのか、興味津々です。
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2017年4月23日 (日)

新種優先繁殖の法則~Haluの世界その20

Halu農法を支える自然観は2つあります。そのうちのひとつが表題の「新種優先繁殖の法則」です。このことは、自然科学の知見ではなく、Halu農法を開発するうえで到達した独自の自然観です。前回の記事でご紹介した「生命の無限拡大連鎖」と並ぶ、大切な考え方です。この2つをしっかり意識できれば、作物は思い通りに作れるようになると思っています。

「新種」というのは、地球に住むあらゆる生命のうち、新しく誕生した種族のことです。基本的には「人間」を意味しています。この地球は、新しい種族である人間が、他の古い種族に比べて繁殖しやすい環境にある、つまり、人間が食べる野菜や穀物、果樹は、他の植物よりも優先的に育つのです。

もう少し簡単に表現すると、農作物は放っておいても勝手に育ってしまう、そもそも地球にはその仕組みがある、ということです。たとえば、現代農法では、雑草の繁殖を嫌います。雑草がはびこると作物が育たないという理由で、せっせと雑草を抜きます。

しかし、Haluの畑では、雑草が発芽しても大きくなりません。成長が止まった雑草たちを尻目に、野菜がぐんぐん育ちます。なので、原則として雑草を抜く作業はありません。種を播けば、あとは収穫です。

この辺りは、従来の農法で栽培を続けている人にとって、受け入れがたい話に聞こえるらしいのですが、それが事実なので、そうとしか表現しようがありません。実際、畑の様子をご覧いただくと、「そのもの」が目の前に広がっています。私たち人間が好む野菜の種を播き発芽すると、他の雑草類、つまり人間が食べない植物のほうは、発芽しても成長が止まってしまい、野菜だけ育っていくのです。

興味深いのは、野菜の種が発芽していない場所は、雑草がそのまま成長するという現象です。

どうやら自然界は、新しい種族である人間の食べ物が、優先的に育つ環境にあるらしい。それが「新種優先繁殖の法則」というわけです。

ただし、野菜が育つには、特定の環境を整えなければいけません。それがHalu農法です。

まず初めに、2つの自然観をしっかり受け入れることが大切です。そのうえで、具体的な栽培技術を駆使して野菜を育てます。

2017年4月 9日 (日)

生命の無限拡大連鎖~Haluの世界その19

Halu農法を支える自然観のひとつです。これまでにも、同じ趣旨のことは書いているのですが、なかなか表現が難しく、悩みは尽きません。今回は、表題の通り「生命の無限拡大連鎖」という表現を試みてみます。(今回は、丁寧に書いてみたので長文です)
 
これまでの農業技術の基本になっている自然観は、「循環」です。植物を動物が食べ、動物の遺体を微生物が分解し、分解されたものが養分になって植物が育つ。「食物連鎖」という表現も理科の教科書に書かれています。この「循環」の考え方は、生態学であったり、環境学であったり、さまざまな学問にも共通しています。

ひとくちに「循環」といっても、具体的にはどんなイメージでしょうか。血液が身体のなかで循環するようなイメージ? 廃棄物を再利用して「循環型社会」を目指そうという標語もあります。共通するのは、「あるもの」がぐるぐる巡って元に戻り、それを繰り返していく状態です。

しかし、この「循環」という表現は、無意識のうちに、私たちの思考に大きな制約を与えています。それは、「循環している物質は、姿形を変えるだけで、その量は増えもしないし、減りもせず、一定である」という固定観念です。物理学とか化学にも「質量保存の法則」とか「エネルギー保存の法則」とか呼ばれている考え方もあるため、ほとんどの人が、この「循環」の考え方に疑問を持っていないようです。

そしてその延長に、現代農業の考え方があります。

よく農学の考え方の例として、窒素の重量換算が使われています。たとえば1反(1,000㎡)の畑でコマツナなどの葉物野菜を栽培したとき、収穫して畑から持ち出したコマツナの成分のうち、窒素の重量を計算します。もし、窒素換算で10㎏持ち出したとすると、畑に窒素肥料を10㎏補わなければいけない、という考え方です。
 
窒素を補うことによって、循環が成立し、半永久的に作物が栽培できる。──もちろん、窒素以外にも必要な栄養素がありますから、それらを総合して「肥料」と呼んでいます。半世紀前、化学肥料の登場は、「緑の革命」ともてはやされたそうです。

「そういうものだ」と教われば、「そういうものなのか」と受け取るしかありません。なので、この「循環」に疑問を持たないうちは、Halu農法なんて無用の技術です。むしろいかがわしいとさえ思うかもしれません。

そこで、ひとつ例を挙げて考えてみましょう。

どなたか近しい人が亡くなったときのことを思い浮かべてみてください。現代医学では、心臓の停止を「死」と定義しています。心停止の瞬間を医師が「死」と診断し、法的にも「死」が認められます。いまは少し複雑で、脳の血流が止まってしまい、「脳死」という考え方もありますが、いずれにしても、「死」の瞬間は、どこかにあります。

そこで疑問が生まれます。

「死」の0.1秒前と、0.1秒後では、物質的に何か違いはあるでしょうか? 

私たちは知っています。「生きている人間」と「死んでしまった人間」は、まったく別物であると。だから、近しい人が亡くなると、悲しみに暮れます。

しかし、死ぬ直前と死んだ直後では、物質としては、何ら変わっていません。そこでもし、私が「人間なんて生きていようが死んでいようが、肉の塊であることに変わりないじゃないか」などとつぶやこうものなら、きっと周りから非難を浴びること必至でしょう。

「生きている人間」と「死んでしまった人間」は、あきらかに違う存在です。ところが、人間以外の生き物(ペットを除く)について、現代人は生体と死体を区別しません。畑から生きているコマツナを収穫しても、「窒素10㎏持ち出したから、10㎏補おう」と、文字通り無機質に考えています。命を扱っているにもかかわらず、初めから「死体扱い」であることに、私たち現代人は大いに違和感を持つべきなのです。

現代人は、無機物の循環を基本に置いてしまったために、命の循環と物質循環を混同しています。とくに命を扱う農業は、命の循環を正しくとらえなければいけません。それがHalu農法の出発点です。

そしてここからが本題です。

地球が誕生してから間もなく(といっても数億年たってからですが)、生命の祖先である微生物が誕生しました。その微生物はひとつの細胞からなる身体を持っていて、単細胞生物と分類されます。やがて複数の細胞を持つ多細胞生物に進化します。多細胞生物は進化と分化を繰り返し、時間とともに生命の種類も数もどんどん増えてきました。

このような説明を聞いても、ほとんどの人は疑問を持たず、すんなり受け入れるだろうと思います。生命は増えている。これは直観的に理解できます。

では、農作物をつくる畑のなかの生命は?

増えていますか? 減っていますか? それとも一定量のままですか?

突き詰めて考えてみると、いまの農業技術は、畑の中の生命(といっても作物だけしか見ていないようですが)は、常に一定であることが前提になっています。しかも、生体と死体の区別をつけていません。だから「収穫して畑から持ち出した分を補う」と考えるのです。

しかし、もう一度地球の歴史を振り返ってみましょう。生命は増えてきています。人間の食べ物である植物は、何もしなくても育つようにできているはずですよね。しかも、何かの種族だけが増えるのではなく、すべての種族(微生物や昆虫、爬虫類、魚類、哺乳類、鳥類など)が調和を保ちながらいっしょに増えている──そこが最大のポイントです。

植物が何も生えていない空き地を想像してみてください。放っておくとどうなるでしょうか。雑草が生え、そのうち手が付けられないほど繁殖します。やがて背の低い灌木が生えてきて、雑木林になります。土の中では根が張り、微生物が増えます。微生物を食べる小動物が増え、さらに大型の動物へと食物連鎖は拡大しながら続いていきます。

地球の生命は、さまざまな種族が食物連鎖の調和を保ちながら、増殖し続けています。地球には、そもそもその仕組みがある、ということです。それが「生命の無限拡大連鎖」です。

Halu農法は、その自然観を基盤にしています。Haluの畑には、さまざまな生命がいます。豊かな生態系をつくり、調和したまま生命の数が増加します。その一環で農作物ができるのです。生態系のなかには、もちろん人間も含まれます。なので、作物も増えるし、人間も増えていくでしょう。

では、現代農業の技術では、生命は増えないのか?

肥料を使う畑で、例外的にうまくいっているケースがあるでしょう。極めて適切に肥料を投入することで、肥料を分解する微生物が増え、その微生物を食べる小動物が増え、バランスを取りながら生命が増える。その一環で、虫食いや病気のない健康な野菜もできる。

しかし、ほとんどは失敗でしょう。でなければ、農薬という商品が売られるわけがありません。肥料を使えば、その肥料を分解する特定の微生物が大繁殖します。そして、その特定の微生物を食べる特定の小動物が大繁殖します。バランスを欠いた拡大連鎖です。なかには病原菌や害虫がいて、作物をダメにします。そこで薬を使い、微生物や虫を殺します。

薬を使わず、野菜のほうを見殺しにするか、薬で微生物と虫を殺すか。どちらにしても、「生命の無限拡大連鎖」はありません。

結果的に畑が荒れて、耕作放棄地になると、直後から生命が増えていく拡大連鎖の仕組みが働きます。現代社会は、人間が手をかけるところ、生命はどんどん減っていき、人間が手をかけるのを止めると、生命が増えていく。そんなふうに見えます。

Halu農法は、土の中に何も入れません。そもそも地球に備わった仕組みを活用するわけですから、いまそこにある環境をそのまま使うだけです。大切なのは、「生命の拡大連鎖の仕組みが働きやすい環境を我々人間が整える」ことです。

環境が整うと、すべての生命が調和しながら増えていきます。野菜も自然にできるようになる、というわけです。

いつも理屈っぽくなってしまい、とても心苦しく思います。あとはHaluの畑を見れば一目瞭然です。Haluの畑に立てば、生命が大きく膨らんでいることを身体で感じることができます。たぶん、健康になります。

2017年4月 6日 (木)

スイカの苗づくり

今年は、スイカの苗づくりに挑戦しています。

Kimg0421Kimg0422Halu農法は、自然状態に近い形で栽培しますので、基本的に種を「直播き」します。ところが、とくに夏の野菜や果物は、一般的に苗で栽培されています。

これまでの検証の結果、直播きでも十分に栽培できると判断していますが、次のステップとして、より効率の良い、安定した農業経営に向けて、「苗づくり」も大事にしていこうと考えています。

そこで、初めて3月に種播きして、発芽を待っていたのですが、本日、ようやく芽を出してくれました。予定としては、本葉が出るまでこのまま育苗トレイで見守り、タイミングを見て少し大きめのポットに移植しようと考えているところです。

今年の気候は、桜が開花したと思ったら寒くなって、ややちぐはぐな気温が続いていましたが、関東地方は昨日あたりから本格的に暖かくなってきたので、畑の生き物は、植物も動物も、一気に動き出したようです。発芽するまでやきもきしていましたが、今朝は文字通り「ひと安心」しました。

追記
Kimg0425上の写真は早朝のものですが、夕方には右のように、一斉に芽が出てきました。もともとトレイにはまったく養分がないので、難しいのはここからですが、なんとかうまく育ってほしいと願っています。

2017年4月 3日 (月)

四季成りイチゴの定植

Kimg0420Kimg0419本日、四季成りイチゴの苗(2種類)を定植しました。イチゴ栽培は初めてのことですから、今年はまず、ちゃんと育つかどうか見極めることが最優先です。

とはいえ、昨年秋に定植したとちおとめ(一季成り)は、とても元気に成長していますから、四季成りイチゴのほうも、おそらく問題ないはずです。ということは、もう少し目標を高くして、こちらも量産実験をしたいと思います。

今年は、果樹にも挑戦します。

先日、ナシの苗を定植しました。ほかに、レモン、ミカン、リンゴの苗の納品待ちです。結果が出るのは3年後以降になると思います。しばらくは、成長具合をじっくり観察していく予定です。

2017年4月 2日 (日)

基幹産業へ~農業論その2

きっと、多くの人が、心の中では確信しているのかもしれません。農業は、“成長産業化”などというテーマで論じられるべきものではなく、人類社会の基幹産業として位置付けられるべきものです。

さらに、農業の基盤がしっかりすれば、ごく自然に経済は上向いていくでしょう。なぜ経済学者から、そのことを主張する声が出てこないのか、理由がまったくがわかりません。

経済学を修めた人が共有する基本的な知識があります。これを外して経済学は考えられないほど重要です。それは、経済を潤す基本となるものは何か、という視点です。マスメディアで報じられることもないので、経済学に興味のない人にとっては、知る術はないかもしれません。

答えは「人口」です。

人口が増えれば経済は拡大し、減れば縮小します。人は、消費者でもあり生産者でもあります。とくに消費する人がいなければ、経済が縮小するのは当たりまえです。そこで、短絡的に「子どもを産みなさい」という教育者が現れて問題になったり、子育ての負担を軽くして、何とか若い女性に子どもを産ませようという政策が出てきます。

その一方で、さらに奇妙なことがあります。もはや人口が増えるあてがない。そこで政府(だけでなく政治家全般、官僚、学者のほとんど)は、人口減少を前提に、一人当たりの消費量を増やして経済を拡大しようという政策に突っ走っています。

これ以上、不要なものが増えて、私たちは幸せな生活が送れるのでしょうか。

さて、どうすれば人口が増えるのか。
これは単純明快です。食べ物を増やせば良いのです。食べ物が増えれば、種族は増える。人間だけではありません。イノシシも、シカも、サルも、食べ物が増えれば個体数は必ず増えます。

微生物も昆虫も、食べ物が増えれば個体数が増えます。ひとつの種が増えると、やれ害虫だ害獣だと人間は騒ぎ立てますが、理由は彼らの食べ物が増えているから、というだけのことです。

人間は例外でしょうか? そんなわけがありません。食べ物が増えれば、人間は必ず増えます。黙っていても、経済は拡大します。

たぶん、そのことは多くの経済学者が分かっていることだと思います。ところが、なぜその政策が出てこないのかというと、現在の農業技術では、作物を大量生産することができないからです。

農業技術はいまが最高度に成熟していて、これ以上の進歩がほとんど見込めない、と多くの農業関係者は考えています。だから、遺伝子組み換えとか、植物工場のような、極端に自然から距離をおくような技術に走らざるを得ません。

いま必要なのは、無限に食糧生産できる本物の技術です。Halu農法もその一翼を担える技術だと思っています。要するに、まったく新しい視点の農業技術を開発することが、いまの社会の閉塞感を打破する最も有効な手立てに違いありません。

かんたんに言い換えると、街路樹や庭の柿の木が、自然に大きく育ち、美味しい実を成らせる仕組みを研究し、農業に活用する技術こそ、いま必要なのです。

ただし、発想を変えることは、とても難しいことです。いまの農業分野が急激に変わることは考えにくいので、担い手が増えないまま没落していくでしょう。おそらく、新規参入を志す人たちによって、日本の農業が新しい道を歩き始め、社会は再生していくように思います。そして、その波が世界に広がり、地球規模で経済社会が変革していくことでしょう。

その先に、戦争で命を奪い合うことのない、飢える恐怖もない、平和で豊かな社会が待っているのだろうと思います。

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