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2015年6月

2015年6月28日 (日)

初期の雌花は摘む予定です~スイカ

21スイカ、カボチャとも、ワタアブラムシの食害から急速に回復し、両方とも、次々と親ヅルをのばし始めています。加速的な成長速度は、昨年を上回っているようにも見えます。

数日前からスイカに雄花が咲き始めていましたが、今朝は雌花も発見しました。そして思い浮かんだのは「まだ早い」という言葉でした。もし実が大きくなるようなら、明日、摘果しようと思います。

なにしろ、私自身の栽培技術は、そこれこそ‟素人に毛が生えた程度”です。昨年は、実験も含めて着果については自然に任せていましたが、やはり、長い経験を持つ農家の知恵には、「なるほど」と思うことが多いものです。

とくに、初期の結実した実は、摘果するほうが良いというアドバイスがあります。親ヅルが十分に伸びず、葉も少ない状態で実をつけるのは、例えて言うと「子どもが子どもを産んだ」のに等しいのだとか。つまり、実がついてしまうと、植物は実を成熟させるほうにエネルギーを使ってしまうため、親ヅルや子ヅルの成長に回す栄養が実のうほうに回ってしまうのだというのです。すると、本体の成長も、実の成長も中途半端になってしまうそうです。

そのため、親ヅルや子ヅルが十分に育った段階で結実させることが、プロ農家には必要な技術であり、判断だと聞きました。確かに、昨年のスイカの状態を見た限り、その説は納得できるものがあります。

私個人としては早く実をつけてほしいわけですが、少なくともあと数日、あるいは1週間は、本体の成長に集中してほしいと考えています。

2015年6月24日 (水)

●●●●~Haluの世界その10

大変申し訳ありません。

ここに掲載されていた記事は、特許技術との関連が大きいため、削除いたしました。

2015年6月22日 (月)

間引きしない理由

Photo前々回の記事で、「今年のスイカやカボチャは間引きも誘引もしない」と宣言しました。そのうち「間引きしない」理由について説明します。

Haluの技術は、植物と共生微生物によって支えられていることは、これまで何度もご紹介してきた通りです。つまり、野菜を育てるのに「養分(肥料)」をまったく使いません。実際には、野菜が光合成で作ったブドウ糖を根から放出し、微生物はそのブドウ糖をエネルギーにしてアミノ酸やビタミンを合成したり、土壌鉱物(砂や粘土)から必要なミネラル分を吸い上げる助けをしています。

さて、まず植物の構造ですが、図の通り、茎Aに対応する根A、茎Bに対応する根Bといった具合で、地上部の茎(あるいはツル)には、それに対応する根があって、それぞれ‟対”をなしています。そして、微生物はその根の周囲に棲んでいます。それを根圏(こんけん)といいますが、距離にして根から1mm以内の範囲です。

ということは、根っこ同士が2ミリ以上離れていれば、お互いに干渉したり、競争したりすることはありません。なので、複数の株が植えてあっても、根っこが四方に伸びていけば、それぞれの茎やツルは、それに対応する根っこの共生微生物と栄養をやり取りするので、何ら問題なく成長していけるのです。

逆に、肥料栽培の場合は、特定の範囲にある養分(肥料)を根っこが奪い合う形になるので、複数株をそのままにしておくと、すべての株が栄養不足になってしまうというわけです。なので、肥料栽培の場合は、間引きは必須です。

もちろん、Haluの場合も例外はあります。それは根菜を栽培するときです。今年は初めて春まきダイコンを栽培しましたが、私はしっかり「間引き」しました。そうしないと、ダイコンが大きくなるための物理的なスペースがなくなってしまうからです。なので、根菜は例外です。

いまも、スイカ、カボチャは複数株が一緒に成長していますが、今のところ、何ら問題があるようには見えません。今年は、このまま彼ら(野菜たち)の地力をきちんと見定めるつもりです。

2015年6月21日 (日)

味覚をリセットしてくれるスイカ

食品添加物は、もはや私たちの食生活から切り離すことはできません。無添加、無糖、ノンアルコールなどなど。「無○○」という表現がやたらに目につくこの頃ですが、それは逆に、何にでも何らかの添加物が加わっている証拠です。

数多くの添加物によって、私たち現代人の味覚が、恐ろしいほど鈍っているのではないか。そう思わせる‟事件”が1年前に起こりました。それは、Haluのスイカを食べた人たちから返ってきた言葉によって、また、私自身の身体感覚によって判明しました。

昨年の夏、スイカを量産できたのはいいのですが、すべてを販売するだけの体制が整わず、私は2か月間、Haluのスイカを食べ続けました(種を採る意味も含めて)。そもそも、毎日食べているのに、「よく飽きないな」と自分でも不思議に思っていました。

そんなある日、有機栽培でスイカを作っている方から、スイカを1個いただきました。一口食べた瞬間、あまりの酷い味に、そのまま吐き出してしまいました。その方には大変申しわけない話なのですが、そのスイカは、そのまま庭に捨てました。そのスイカの味は、きっと堆肥(家畜糞)の味だと直感的に思いました。

21昨年のスイカは、いろいろな方に買っていただいたり、試食していただいたりして、大きな反響をいただきました。

「長いこと(市販の)スイカが食べられなかったが、Haluのスイカは美味しく食べることができた」
「Haluのスイカを食べたら、市販のスイカの雑味がわかった」

そういったコメントをいただきました。

Haluのスイカを初めて食べたとき、私自身の感想は「しっかりした甘みはある。けれど、随分とあっさりした味だな」でした。

いまの世の中で「美味しさ」というのは、複雑な味わいやコクなどを表すことが多いと思います。Haluのスイカを初めて食べたときの印象は、それとは正反対です。けれども、毎日食べられる味です。そして、もっとも重要なポイントは、ほかのスイカを食べたとき、「変な味(添加された雑味)」が分かってしまうということです。

私はこの現象を「味覚のリセット」ととらえています。

そういう不思議な体験をご希望の方は、スイカができたらぜひご賞味ください。

*写真は、昨年の試食会の様子

ようやく畑らしく・・・

PhotoPhoto_2発芽してすぐに、ワタアブラムシの食害に遭うという予期せぬ事態を経験した畑ですが、スイカ、カボチャともに高確率で復活し、ようやく畑らしくなってきました。写真左はスイカの畝、右はカボチャの畝です。

この時期、いつもの通り雑草が伸びてきて、野菜はたちどころに埋まってしまいます。ですから、光合成ができるように、野菜の周りの草刈りが必要です。Photo_3とくに今年は、炎天下のなか、Haluの技術を学びに来ている大喜多さんが気合を入れて草刈りをしてくれるので、こうしてスイカやカボチャと判別できる畝の写真を撮ることができます。

今年は九州地方が大雨の標的になっているとのニュース。関東でも局地的に大雨が降っているところがあるものの、この畑には、Photo_4適度に降っている感じです(むしろ少ない感じでしょうか)。スイカもカボチャも、生育にばらつきはありますが、早いものは親ヅルを伸ばし始めています。

さて、今年の栽培方針ですが、「間引きせず」「誘引せず」でいく予定です。つまり、そのままでいくということです。Haluの考え方では、「間引き」する必要がありません。そのことは次回に詳しくお伝えしたいと思います。また、「誘引」については、私自身が未熟なため、昨年変な誘引の仕方をして、多くのスイカをダメにしてしまったからです。(畑が特殊な構造のため、一般的な誘引方法の考え方があてはまらないようなのです)

ただ、放任すると草だらけになってしまうので、草刈りだけは懸命に取りまなければいけません。見事に復活してくれたスイカやカボチャのために、私も可能な限り草刈りをするつもりです。

*Haluの技術では、草は引き抜かず根元で刈り取ります。根を土の中に残すことがとても重要であると考えています。

2015年6月19日 (金)

農業の心は「福祉」の心

特許が認められて、次のステップを模索しています。

現代社会の多くの人は、農業による食糧生産に明るい希望が持てないでいます。それは、現行の技術では、農薬や遺伝子組み換えによる人体への影響や、環境破壊の不安が解消しないとわかっているからでしょう。

化学肥料や農薬への批判から生まれた「有機農法」、さらに一歩進んだ「自然農法(あるいは自然栽培)」は、ここ数年のあいだに多少は注目されているようですが、これらは、決して未来を明るく照らす希望にはなっていません。やはり、いろいろな問題を抱えているからです。

1日に飢え死にする人は、なんと日本でも5人になるそうです。世界では2万5千人。貧困が生み出す人身売買や武力衝突は、日々のニュースでご存知の通りです。

特許技術「Halu」は、これらの問題を一気に解決に向かわせる可能性を秘めていると感じています。

思い返すと、ここまでの道のりは、常に「福祉の心」が基本にあったような気がします。そもそも農業に目を向けたのは、歳を取っても、障害を持っていても、生涯働ける仕事は農業だろうと考えたからです。「福祉」とは、文字通り「すべての人間の幸せ」です。表現を変えると、何人たりとも排除しない、つまり、あらゆる人をすべて受け入れる心が基本にあります。

福祉の世界には善悪がありません。優劣がありません。上下もありません。区別があっても差別はありません(ただし、これは理想論であって、その境地に立てない人による事件がたびたびニュースになることはあります)。

さて、これを現代農業の常識に当てはめると、まず問題になるのは「害虫」です。そして「雑草」です。害虫は野菜を食い荒らします。雑草は野菜の養分を奪います。けれど、これを福祉の心で見直してみることで、新しい農法への道筋が見えてきました。「すべての生き物、すべての現象を受け入れる」。すると、自然界のバランスが見えてきて、ごく自然に野菜ができるようになりました。

特許農法は、1年半後に公開されるので、その通りに実践すれば、だれでも、どんな野菜でも栽培可能になると思います。ただ、特許の書類に書いていない「福祉の心」も、無肥料栽培にはとても大事な要素であると思うのです。

やや感傷的な文章になってしまってすみません。

無肥料栽培を目指してから5年。本当に悲惨な失敗を繰り返し、思うように野菜ができないことを恨み、自分の心が荒んでいくのを何度も実感しました。「福祉の心」などと偉そうに書いていますが、初めのころは狂気と呼ぶほうが正確だったと思います。

打つ手をすべて失ったとき、ふと「何のために農業なんて始めたんだろう」と我に返り、不思議ですが「目の前のことをすべて受け入れよう」という精神状態になったのを覚えています。そこから、急に道が開けてきました。

なに一つ排除しない。目の前のことは、すべて必然なのだ。そんな感覚を持つようになると、急に野菜ができ始めました。

2015年6月18日 (木)

ジャガイモの実

Photoついにジャガイモの実を自分の目で見ることができました。これまで何度か挑戦して、初めてのことです。といっても、私が植えたのではなく、あゆみ塾の塾生が植えた種イモから育った株で、いくつかの花が実をつけて、しっかり大きくなったものです。

見た目はミニトマトそのもの。同じナス科の植物であることがすぐにわかります。

もともと、ジャガイモは、収穫時に種イモを残して、次の作付に使います。そのように教わるのですが、やはり私は、種から育てて、その土地の固定種にしたいと考えてしまいます。これまでも、何度か種イモを植えて、花が咲くたびにワクワクして実がなるのを待っていたのですが、ことごとく花が落ちてしまいました。

今年は、この実をいくつかいただき、種を採りたいと思います。どんな芽が出てくるのか楽しみです。

2015年6月15日 (月)

食害その後

双葉の時点でウリハムシやワタアブラムシの食害に遭ってしまったスイカとカボチャですが、少しずつ復活しつつあることは先日(6月9日)にご報告した通りです。きょうは、その後の様子をご報告します。

21まず初めにスイカの写真です。かなり順調な株は左、そこそこ回復しているのが右の写真です。どちらも、あとから播いた種が発芽して、本葉が出ている様子がわかります。スイカの種を播いたのは約600か所、カボチャは約400か所。このほとんどがワタアブラムシの食害に遭ってしまったのですが、復活しているのは半分強という感じでしょうか。あとから播き直した種が順調に育ってくれれば、そのぶんだけ復活の割合は高くなる計算です。(ただ、時期的に遅いかもしれませんが・・・)

Photoカボチャは写真(下段)の通りです。この写真は、葉がそこそこ大きくなっている株を撮影したもので、これよりも小さいものも、たくさんあります。

さて、今回作付している総面積は、雑草地帯を除くと、実質的に約3,000㎡です。そして、信じられないぐらい順調に育っている場所があるかと思うと、そこから1mしか離れていない場所では「ぜんぜん育ってない」ところや「発芽すらしてない」ところもあります。正直なところ「わけわからん」と首をひねりたい気分ですが、それだけ地面の下の環境は違うということなのだと思います。

とくに今年は、高畝の土はとても良い感じでしたが、そこから下を掘ってみると、まったく団粒化していない固い粘土層がほとんどでした。これを改善するため、溝部分を約1mおきに深さ20~30㎝の穴を掘って、実質的な畝の高さを50~60㎝にしてあります。その甲斐あってか、土壌改良の速度は、目を見張るものがあります。

これから梅雨の長雨、大雨にどれだけ耐えてくれるでしょうか。心配はありますが、楽しみでもあります。

2015年6月10日 (水)

特許が認められました。

本日、特許庁から「特許査定」という書類が届きました。つまり、晴れて特許が認められました。応援してくださっている皆様には、心より感謝申し上げます。とくに出願については、最初から力強くバックアップしてくださった千葉県発明協会の担当の方や、的確なアドバイスをくださった弁理士さんには、本当にお世話になり、ありがたい気持ちでいっぱいです。

昨年の夏、ふと「この技術で特許を取得できないか」と思い、発明協会に電話を入れたとき、相談に乗ってくださったO氏から、当時、とても興味深い言葉をかけていただきました。

O氏は、工学博士でもありますが、「横内さん、この発明は、われわれ(科学者)の常識ではあり得ないことなんです。基本的には、何かを材料にして、別の何かをつくる。インプットがあって、その先にアウトプットがある。その考え方が科学の基本なんです。ところが、アナタの発明は、インプットがなくて、アウトプットがある。私は最初半信半疑でしたが、実際に出来たスイカを食べてみて、これは面白い、本当にあり得ることかもしれないと思いました。ぜひ、特許を取りましょう」と、強く背中を押してくださいました。

これで、ようやく本当のスタートラインに立った気がします。今年の畑は、自分でも信じられない速度で、確かに土壌改良が進んでいます。一昨日夜から昨日午前中まで、かなり多めの雨が降りました。畑に行くと、まったく異常ありません。それどころか、野菜は益々元気に育っています。

2015年6月 1日 (月)

「無農薬かどうか」は本質ではない!?

いま、農業・園芸の世界では、「無農薬の野菜が安全だ」という考え方が当たり前になりつつあります。家庭菜園をしている方の多くも、「私は農薬を使っていません」という方が増えているのではないかと思います。あるいは、農薬を使いたくないということで有機栽培の新規就農を目指している方もいらっしゃるでしょう。

一方、このブログで発信していることは、一般的な「無農薬」に対する考え方とは次元が異なっていることを、そろそろ明確に主張したいと思っています。このブログは、「無肥料栽培」について書いている場であって、「無農薬栽培」について書いている場ではありません。私は、野菜づくりに農薬を使いません。しかし、それは安全のためではありません。たんに「使う必要がないから」という理由で使わないのであって、「無農薬野菜」を意識しているわけではないのです。

今回の記事は、とても難しいニュアンスをお伝えしようと試みています。このことは、何度か記事で表現しようとしてきたのですが、感覚的なことなので、言葉だけでは伝わりにくいかもしれません。

実際、最近の私の記事では「無農薬」という言葉をなるべく使わないようにしています。この言葉を使うことによって、かえって誤解が解けなくなると思うからです。というのも、以下に質問を書きますので、試しに答えを考えてみてください。

「無農薬野菜は安全ですか?」
「農薬を使った野菜は危険ですか?」

この質問に対して、あなたはどのように答えますか? 実は、無農薬野菜を食べてアナフィラキシーショックで倒れる人がいます。→「無農薬野菜は安全とは言えません」。農薬を使った野菜を食べてピンピンしている人がいます(これはほとんどの人がそうですね)。→「農薬を使った野菜が危険とは言えません」。つまり、農薬が安全か危険かという議論は、そもそも感情的な要素が多く、科学的に白黒つけることができません。ですから、農薬についての議論は、‟本質から離れたピント外れの話である”と私は考えています(もちろん、私自身は以前、無農薬野菜が安全だと信じていました。いまは違います)。そこで提案です。「農薬が安全か危険か」という議論から、そろそろ卒業しませんか?

ここでの話は、「完全な無肥料」で美味しく、大きく、たくさん実る野菜づくりが可能であるか。また可能なら「どうすれば良いのか」に関心のある方を対象に発信しているお話です。(ちなみに、農薬など使わないのは、Haluの技術では当たり前の話なので、あえて言葉にするのがだんだん空しく感じてきています。そもそも肥料も農薬も必要ないのですから・・・)

今回の記事は、あえて「自分の思いを強調」して文章をつづっています。というのも、いま取り組んでいる畑の土壌改良のスピードが予想以上に早いからです。前回の記事でダイコンを収穫した写真をアップしましたが、もちろんそれは‟一部の現象”に過ぎません。

また、少し前に、スイカ、カボチャがウリハムシやワタアブラムシに食べられている話もアップしてありますが、その後の‟劇的な回復ぶり”を目の当たりにしています。かつて私自身が半信半疑で模索していた無肥料栽培について、いまは「絶対に間違いない」という確信に変化しています。その気持ちの変化に伴って、文章表現も‟より確かなもの”に変えていきたいと思っています。

肥料も何も使わず、ただ畑の形を整えるだけで野菜は育つ。(ここでいう無肥料という言葉は、堆肥はおろか、雑草も何も使いません。何も土に入れず、ただ種を播くだけです。もちろん、野菜のそばに‟マメ科植物を栽培する”というような変則的なワザも一切ありません)

いますぐに信じられなくても、今後、私の畑にたくさんの人が来ることを願っています。とくに、いまなら面白い光景に出会えます。「葦、スギナ」などといっしょにスイカやカボチャ、そしてジャガイモ、トウモロコシ、トマト、ニンジン、ダイコンが立派に育っているのですから。こんな面白い光景を見逃す手はありません。

おそらく、この光景は来年には見られないはずです。それほど土壌改良が急速に進んでいるため、葦もスギナもあっという間に消えてしまうでしょう。私自身も驚いているくらいです。同時に、「この水はけの悪い畑で、このスピードで改良できるなら、日本中のあらゆる場所で短期間で野菜ができるようになる」と、強い確信が身体中にわいてくるのです。

そのための具体的な技術がほぼ確立できたと思っています。

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